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『龍にはならない』第16話 見た目
私は目の前の小さくて、おしゃれで、かわいくて、美人な女を凝視したまま動けなくなってしまった。
「龍になる方法?」
「だって龍になりたいでしょ?」
「私が?」
「そう」
龍になりたい? そんなわけない。これはおかしな言いがかりだ。
「あなたは誰なんですか」
好き勝手に喋り散らかす目的はなんだろう。
「だから。昨日の子は水の妖精。わたしは風の妖精」
ソファの背もたれの上にちょこんと座り、女は前髪をいじっている。真面目に答えそうにない。
「私は龍になりたいなんて思っていない」
「またまた」
笑いながら女は立ち上がる。
「まだ手が青いじゃない。鱗を食べればすぐに解決するのに、わざわざ青いまま残しているってことは……ね」
私は手を握りしめて指を隠す。こんなところを見ているなんて目聡い。
「これは、鱗の効果が思うより弱かっただけです」
「いやいや」
女はソファの背もたれをするりと滑り落ちた。身軽な着地をして見せて、迷いなく座面と背もたれの隙間に手を突っ込む。その後ろ姿は、私の胸がざわつくのを楽しんでいるかのように見えた。
「あった」
女はそこにあった龍の鱗を両手で引っ張り出した。
「こんなところに隠して、治らないようにしていたんだよね」
「隠したわけじゃない」
たまたまだった。鱗が一枚隙間に滑り落ちた。そのまま放置した。それだけだ。
「わざと飲まないのは、帰りたくないからでしょ?」
「ちゃんと帰ります」
言い返しても苦々しい。確かに偶然落としたけれど、その後鱗を拾うことができなかった。知らないふりを続けた。仕事を辞めるために帰ると決めている。でも、本当は帰りたくなかった。嫌なことを思い出す前も後も。仕事を辞めるために帰ると決めたのに心が揺らぐ。変わるのが怖いから。辞めた先が見えないから。だから魔女に甘えた事を言って、バッサリ断られたのだ。
「でもさ、このまま帰ったって何も変わらないよ」
鱗を抱えてソファから飛び立ち、女は私の肩にとまる。
「最初だけ。部屋を片付けた後、しばらくするともとに戻るみたいに。だからさ、とりあえず、あちらの世界に行ってみよう? そのほうが絶対にあなたのためになるよ」
「いきません」
「でも、あちらの世界に行けば、魔女みたいな龍になれるよ」
どうせ嘘だ。女の声が一段高くなり、耳障りだ。
「どうやってなる。異形の龍にはなりたくない」
「本当は教えちゃダメなんだけど」
女はクスクスと笑った。
「簡単なんだよ。あちらの世界の龍の鱗をたべれるだけなんだよ。本当に簡単」
「そんなことは信じられない」
「でも、このままだと魔女に食べられちゃうよ」
「そんなわけない」
「まだ信じているの? あの女は絶対あなたを食べる気なんだよ。でも龍になれば、魔女はあなたを食べないし、ここにいる理由ができるし。あちらに行くべきだよ」
「あちらって、どうやっていくんですか?」
「電車に乗って。あなたも見たでしょ?」
確かに、田んぼの向こうに電車は走っていた。
「でも、戻れなくなる」
「戻れるよ。大丈夫。わたしと一緒なら戻れる。わたしは行き来できてるでしょ?」
「魔女は戻れないって言っていました」
「それは魔女の嘘」
「そんな嘘を付く理由は?」
「あなたを、ここにとどめておくため」
「どうしてとどめておきたいなんて思う?」
今は私を帰そうとしているのに。
「だから。あなたを食べるため」
もう何も言葉が出なかった。魔女が私を騙しているとはどうしても思えなかった。黙り続ける私に風(水)の妖精はあきれ顔だ。
「魔女の言いなり? 自分の意見はないの?」
何も言い返したくない。言いなりなのではない。魔女を信じたいんだ。あの人は戻って幸せになれと言った。耳が痛くなるような、聞きたくない言葉を言った。トマトスープを作ったし、ロフトで影の方々を見たし、それから、それからーー
「そりゃそうか。わたし怪しいから信用できないよね。まあ、怪しいのは間違いないか。だってさ、こんなことをしているのって、実はね、お給料のためなの」
女の口だけが笑う。
「龍の食料として狭間の世界におびき寄せられた人間を助けるのがわたしの仕事。狭間の世界って実は広大で、迷い込む人が結構いるの。あなたを助ければあちらの世界の社長にお給料が貰える」
「どうして助けるとお金になるんですか」
「それはーーそれはね、いいことだから。いいことをすると褒められるでしょ?」
女の言い分には無理があった。必死な様子を笑っていいのか、怒っていいのかわからない。
「洋服が好きだからお金がほしい。だから来てよ」
何もかも信じられない。それなのに、突き放すことができない。この女は何故こうなったのだろう。そんな疑問が浮かんできてしまう。
ーーあんたってやっぱりダメね。
私を責める声が聞こえてくる。
「もしかして。また記憶がなくなるのが嫌なの?」
「記憶がなくなる?」
おもわず顔を上げた。
「そっちからこっちに来たときみたいに、こっちからあっちに行くときも記憶がなくなるの。少しだけね」
忘れられるのか。むしろ忘れたい。少しだけ心が揺らぐ。
「ねえ、行こうよ。電車に乗らなくてもいいから」
忘れたいけれど、それでもやっぱり動けない。
「ねぇ!」
女の苛立ちが肩から伝わってきた。
「ここにいても何も変わらないよ」
言葉の裏に、「わたしの言うことを聞け」、「何故聞けないの?」、「何か喋り返せよ」、「この能無し」といった感情がベタベタと張り付いている。
「行かない」
ーー逃げるな
誰かの声がしたのに、私は断っていた。
「私は行かない」
「馬鹿じゃない?」
女は鱗を投げつけ、吐き捨てた。嫌悪感たっぷりに私を見るその顔は、ようやく見せた本当の顔だった。
「何で行かないの?」
女は肩から降りると掃き出し窓を全開にする。
「だから嫌なの。こういうタイプ。努力していないくせに悲劇のヒロイン気取りで。平気であなたは美人でいいねって言う。私が美人なのは努力しているからなのに。僻みばっかり。馬鹿みたい」
関係ない不満をぶち撒けた後、私を睨みつけた。
「もういい。無理やり連れて行く」
窓の外が不自然に明るくなった。女の呼びかけに答えた昨夜見た丸い光が大群となって集まっていた。
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