![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/147967162/rectangle_large_type_2_321e1aa958f73b5afd5ea0306c04127e.jpeg?width=1200)
『龍にはならない』第20話 お寿司を食べながら
夕方に目が覚めると、清水和馬がやって来ていた。
「お寿司」
カウンターに袋を並べ、満面の笑みを浮かべている。
「お寿司買ってきたよ」
「なんで?」
「送別会」
「たった3日のために?」
私の滞在はたったの3日間。しかもほとんど寝ていた。
「あなたが来て楽しかったよ」
和馬はケロリと言う。私は心のカーテンを急いで閉めた。私が来て楽しかった、なんて嬉しい言葉を素直に受け取ることができないから、返事もしないまま早々に跳ね返してしまう。
「あなたは、楽しくなかった?」
和馬は首を傾げる。
「魔女もあなたがいたら楽しいから残ってもらったんでしょ?」
魔女の言葉が蘇る。
「よく眠れるって言っていました」
「ほら」
和馬はご満悦だった。
「いると安心するんだよ」
「理由がわからない」
私は納得がいかない。納得していない私に、和馬は呆れ顔だった。
「理論派だなぁ。理由なんて、藤井さんだからでいいじゃない」
「そんなこと」
そんなこと言われたことなかった。急に涙がこみ上げる。ずっと、そんなことを言われたかった。受け取らないと。私が来て、楽しかったという言葉を受け取らないと。和馬を信じて受け取らないと。
「ありがとう」
溢れ出た涙が静かに滲み出る。
「いやだわ。あなた泣かないでくださらない?」
焦った和馬が上品なご婦人みたいな口調になったので笑ってしまった。
★
その夜は、組み立て式のローテーブルを囲んでお寿司を食べた。魔女が作ったワカメのスープを添えて。
「仕事はどうするの?」
和馬に訊ねられ、私はきっぱりと、
「仕事は辞める」
と、言った。
「最短で2ヶ月後だけどね」
「そっか」
和馬はサーモンを頬張り、うんうんと頷く。咀嚼を終えると、
「その間に仕事を探すの?」
と、次の質問を投げかける。次の仕事について、私は何も考えていなかった。
「今は色んなものを片付けたい。家の中とか」
「ええ!?」
和馬はさも不満げに私を睨みつける。
「汚い部屋落ち着くっていったじゃない」
確かにそうだった。でも、ここまで来たら気持ちが変わってしまったのだ。
「裏切り者〜」
口を尖らせ、和馬は顔で猛抗議する。
「心機一転、全部手放したくなっちゃった」
「なにそれ」
今気づいた感情だった。今まで自分の中に溜め込んでいたいらないものを捨てたい。無理やり続けていた仕事も。自分を犠牲にすることで繋いだ関係も。自分は弱いと思って選択した全てを見直したい。もう一度自分と向き合いたいと思ったのだ。
「散らかっているけど、あの部屋好きですよ」
私が言うと、和馬は納得がいかないのか口を綺麗なへの字にしている。
「ほんとに?」
信じていないのだろうか。和馬に向き直し、私は真剣に言う。
「本当です」
「じゃあ、怒らない?」
「怒りません」
「汚いほうが好き?」
「まあ、片付いたらもっと好きになるかもしれない」
「わお」
和馬は目を見開く。
「わお」
それからワカメのスープを一口飲み、へへへと、笑う。淡々とお寿司を食べ進めていた魔女が不思議そうに和馬を覗き込んだ。
「何をヘラヘラしている?」
「藤井さんにまた来ていいよね」
質問には答えず、和馬が魔女に訊ねた。私が「ここにいたい」と言った時は断られている。しかし、魔女は次に食べるお寿司を選ぶのをやめ、私を見つめて、
「ーーそうだね」
と、答えた。
「いいんですか?」
私が訊ねると魔女がうなずく。
「いつ来てもいい」
「押しかけて住み着くかもしれないですよ?」
「あなたの好きにしていい」
「でも、この前はダメって」
「もう逃げるためじゃないから」
魔女は優しく微笑んている。
いいのか。
「また来ます」
嬉しくて、ほろりと涙がこぼれた。
幸せな夕食だった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?