僕には明確に好きなものがあって、言葉で表現すると「もう既に隆盛が過ぎ去っているもの」なんだけど
例えばもう辞めちゃって仕舞ったギターとか、前住んでた家とか、通ってた小学校とか。
別に大衆にとってそうであったものだけが対象なわけじゃなくて、自分にとっての隆盛が過ぎた物を見たりした時、心がひどく一時停止する。
そういう時がたまにあって、その時はマイナスな感情って訳でもないけど、少なくとも明るい心持ちではない。
僕は母方の実家が好きで、小さい頃に買う予定もないゲームの攻略本を、キャラクターの見た目が気になったから、みたいな理由で祖母に買ってもらったことがあった。小さい頃の記憶の中のそれはすごく大きいまま止まってるんだけど、今考えると標準的な攻略本の大きさかも。僕の小さい頃はまだギリギリ攻略本売ってたんだけど今はネットで済むからあんま見かけないよね。まあそれはいいか
買ってもらったその攻略本を祖母の家で読んでて、その時はなぜだかすごく夢中になって読み込んでた。買ってもらう予定もないのに、このゲームはこんな雰囲気なんだとか、そういう楽しみ方をしてたと思う。あの時の、少しだけ開けた障子と、その向こうの網戸から漏れてくる、夏のお昼にしては冷たい風を今でもすごく覚えてる。
その家が、数年前になくなった。祖父母は今別の家に住んでて、まだ元気にしてる。
でも僕はその家がなくなったことに対して、心残り?後悔?に近い感情がある。うまく表現できないけど、今でもたまに夢に出てきて、誰も居ない別に広くもない居間に1人で寝っ転がって、夢の中だからか、支離滅裂なことが書いてある身の丈に合わない不自然に大きな攻略本を抱きしめながら、網戸の向こうにある冷えた洗濯物の隙間を通ってきた柔軟剤の香りがする風を感じる。そういう夢を見る。

つまるところ、僕はあの家にもう一度戻ってみたい。
もう一度戻ることが出来るなら、このよく分からない感情に少しだけ余裕が出る気がする。
自分にとって隆盛が過ぎたものが好きなのは、少なくともこの正体の分からない感情さんが心地いいからだと思う。
僕は時折、人の居なくなった東京とかを散歩してみたい、って思うことがある。
なんか、ロマンあると思わない?人が居たなぁって。
友達は僕のことを、人が嫌いで1人で居たいくせに、それでいて人の温度は感じてたい。そういう面倒な奴だって言ってた。
正直的を射てると思うし、そんな奴普通に偏屈な野郎だと思う。
昔通ってた小学校もそう。僕は某ジャンクフードの王の店で配達のバイトをしてるんだけど、かよってた小学校の近くを通ることがたまにある。
その時わざわざ目の前の通りを行ってみたりして、小学校を少しだけ見たりする。あ、いやあの全然不審者とかじゃないからね。登校時間外だし。

小学校を見てる時も、あの家に思いを馳せてる時もそうなんだけど、思考が妙にクリアになる。
僕は普段、頭の中の声が多いタイプなんだけど
(他の人の頭の声聞いたことないから知らないけど)
人よりも思考が忙しい方だと勝手に思ってて、色んな事象とか、物事に対しての感受性が豊かな方だと思う。
そんなだから、思考がクリアになるとすごく確かに頭の声が静かになって、心が一時停止する。単に静かだから心地いいって感じて、それが癖になってるのかもしれない。これが隆盛が過ぎたものに対してのみ起こる事だから、不思議。
物体として存在する物じゃなくてもコレは起こる。
昔流行ったゲームをやってみたりとか、さっきまで盛り上がって同窓会してたけどもう解散して1時間過ぎた会場の前になんとなく戻ってみた時なんか、すごかったよ…(キモい)
僕はめちゃくちゃオタクなんだけど、今流行ってる漫画とかアニメとか、なんか見るの回避しちゃうんだよね。これって遠回りするとちょっと前人気だったもの、になるじゃん。それを感じるために回避してるのかなって、こんな面白いならもっと早く教えてよ〜って呟いたりして。いや意図的に避けてる訳じゃないんだけど、なんかあるじゃん、人気になった途端に追っかけるの辞めちゃったバンドみたいな。そういうの。

色々書いたけど、僕が不思議な感情になる原因と理由はまだ分からない。コレがもし既に解明されてて病名?現象名?みたいなのが定義されてるんだとしても、知らないままでいいかも。
自己紹介とかはしない。僕よりも、僕の思想や感じたことを書くだけだから、そっちを見て欲しい。
別に誰にも見られなくても書くけど。
オタクっぽい話も書きたいな
書いて整理して、自分の中にこういう経験値だよって置いておきたい。
頭の中の図書館の床に散らばった悪筆だらけの紙束をまとめる場所…みたいなね?


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