妥協点を探すこと

20代の頃、信頼している上司が、「好きな言葉は妥協」だと話してくれたことがある。およそ「好きな言葉」ラインナップに上がりそうもない言葉だったので、私は一瞬唖然とした。
上司はにこやかに、なぜその言葉が好きか話してくれた。 たぶんその時の私に必要な言葉だったから、あえて「自分の好きな言葉」にして私に伝えてくれたのだろう。

常に人との関係は、妥協点の見つけ合いだと上司は言った。お互いが攻め合い譲り合って丁度良い妥協点を見つけられた時は最高の気分になると。

ところで、 ボランティアという概念はとても難しい。「自主的に、無償で、社会のために行う活動」はともすれば「偽善的で、偉そうで、生意気」にも取られる。実際、私もそう思っている部分が少なからずある。だから、関係を築くべき各所の人たちが少しばかりの胡散臭さを「ボランティアを名乗る団体」に対して感じるのは当然だと思う。

また、時には、ボランティアを「タダの労働力」という取り方しかできない輩も(少ないけれど)いる。呆れるし疲れる。
こういった人たちとボランティア活動者を結ぶのが私たちルーターズの仕事であるが、なかなか難しいことも多い。

そんな時、あの上司の、にこやかな「妥協という言葉が好き」が頭をよぎる。
押し付けるのではなく、理解してもらうことばかりを望むのではなく、かといって諦めず、妥協点を見つけ合いたい。
何年経ってもゴールの見えない課題だけど、 少しずつ妥協点を見つけ合えた人が増えている感覚を糧に、また頑張ろうと思う。

今日、明日は東京に行ってきまーす。

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