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橋本治「ひらがな日本美術史」第3巻 長谷川等伯筆松林図屏風 ジャズが聞こえるもの 「あ」



「松林図屏風」左隻


「松林図屏風」右隻

「ひらがな日本美術史」のこの「ひらがな」の意味をこの頃ちゃんと考えるようになった。

「ひらがな日本美術史」の第3巻は、シリーズのうちでいちばん最初に手に入れたのだが、その表紙が長谷川等伯の「松林図屏風」で、正直言うとずいぶん地味な絵に思えた。
難解な水墨画だと思っていたし、そこに描かれる「精神性」といったものを自分が理解するなんてとうてい無理だと思えた。
でも、このシリーズを読んでいくうちに、橋本治が「思想」とか「精神性」などというものを、そんなにも有り難がっていないような気がしてきた。
特にこの「松林図屏風」の章では、はっきりと
「私は等伯の絵に"思想"なんかみたくない。」と、断言している。
これはとても強い言葉だと思う。
そして、この章で語られるのは、徹底して等伯のデザイン感覚とテクニックの高さだ。
 例の妄想もちょっとあるけど。

 小学生の頃、父が何の見栄を張ったのか百科事典10巻を揃えたことがあった。
あの頃はそういうのがステータスのひとつだったのだ。
本人はすっとこ読みもしなかったが、私は末巻の美術全集が大好きで、よく母と眺めたものだった。
 だからモナリザも、ゴッホの「ひまわり」も割と早い段階で認識していた。
ゴッホの「ひまわり」なんて、わざわざ見開きで紹介してあって、私には何がいいのかぜんぜんわからなかったが、なんだか特別のエラい画家なんだとは思っていた。
 今、私は等伯の絵の何がいいのか、ほんとの事言うとあんまりよくわからない。

それで、美術系ユーチューバーがこの「松林図屏風」を紹介している動画を見てみたら、
「僕がメチャメチャ大好きな絵がこれです!」
と言っていて、「すげー、分かる人は分かるんだ。」と感心した。

 橋本治は「好き」から「わかる」への道すじを、多分「ひらがな」で教えてくれているんだと思う。
 私は等伯の絵をちゃんとわかりたいと思って、何度もこの章を読んだけど、「ちゃんとわかりたい」と思ったということは、やっぱりこれが「好き」なんだ。
     その絵が持つ時代背景や、それこそ思想や精神性は勿論重要で、自分の興味のあることに対して知識を深めるのに欠かせないことだけど、じゃあ、それを知りたいと思う前に何が自分の中に起きていたかというと、「ヘェ〜。」だったり、「フゥ〜ン。」だったりなんじゃないだろうか。

 母がこの美術全集の中で好きだったのはルノアールだった。
「お母さんはこれがいちばん好き。」
カタログの中からお菓子を選ぶように、母が指差したのは、「ジョウロを持つ少女」だったように思う。
 私が指差したのは、ヤン・ファン・エイクの「アルノルフィーニ夫妻の肖像」だった。
小学生にしてはシブいセレクトだ。
「こんな冷たい絵のどこがいいの?」
と母に言われたが、そこで私が感じていたのは「細密画」とか「北方ルネサンス」とかいう、ワードではなく、「ヘェ〜。」「フゥ〜ン。」だったのだろう。


ヤン・ファン・エイク「アルノルフィーニ夫妻の肖像」

 「ひらがな」はフォルムだ。
私が初めて覚えた文字は「あ」で、これはひらがな五十音の最初の文字だ。
私の名前の最初の文字でもあるので、真っ先に覚えさせられた。
 「あ」という文字は子供にとって割と書きにくい字で、それなのに誰もがこの字の練習を一番最初にさせられる。
 「あ」という字を書く子供がやっているのは、その字を理解することではない。
「あ」という文字のフォルムを覚えようとしているのだ。
ひらがなとは、そういうものだと思う。
「ひらがな日本美術史」という本を読むということは、私にとっては日本美術のフォルムを探すということなのだ。
 ひらがなからカタカナ、漢字へ進むように、だから私はいろんなことろへ行けるようになる。

 というわけで、私は今長谷川等伯の部屋の前まで来た。
狩野山雪の部屋は怖くて入れなかったけど、ここはどんな部屋なんだろう。
 小学生の私はまだ「静謐」という言葉は知らなかったけど、「アルノルフィーニ夫妻」の部屋の中にある、しんとした雰囲気は感じていたはずだ。
「松林図屏風」の左隻から右隻へと流れる松林の中のひんやりとした空気は、アルノルフィーニ夫妻の部屋の画面左の開け放した窓から流れ込む冷気と似ているかも知れない。
 そして、私はこの部屋で何をするだろう。


もしもこの"松林図屏風"が襖絵になっていたら、我々はその部屋の中で、ただ"渺茫たる広がり"を感じるのである。
それは"見る"ではない。 "聴く"に近い。

何をするかはわからないけど、この部屋にはぜひとも入ってみたいと思う。
 

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