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「言葉狩り」をさせてください。

 この間、キング・ヌーの「白日」を聴いて、娘に「この曲エモいよね。」と言ったら、すんごい怒られました。
いい歳してそんな言葉使うんじゃない、みっともない。とのことでした泣。
 私には子供が三人いますが、彼らが大人になっていく過程で、特に言葉遣いを厳しく注意したことはなかったように思います。
ただ、年のせいかこの頃ネットで見聞きする言葉に違和感を持ってしまうことがよくあります。
 なんか、色んな人を敵に回しそうなので「やめとこ。」と思っていましたが、ちょっとだけ、ちょっとだけ言わせてください。

 「頂きます」多すぎ問題。
丁寧な言葉遣いに違いないけど、やっぱりおかしいと思うんです。
例えば「謝罪致します。」ならわかるんです。
でも、「謝罪させて頂きます。」はおかしいと思うんです。
どうおかしいのか、説明しろと言われても困るんですけど。

 「さん」付け問題。
クリエイターを呼び捨てにする事への気兼ねは理解できます。
ただ、やっぱり私の中で歌麿や北斎などの歴史的芸術家は「絵師」であり、「絵師さん」でも「作家さん」でもないのです。

 「亡くなる」問題。
家族同然のペットを失うのはつらい事です。
これは多分、「死」という文字がSNS上では忌避されるという現実的な問題から派生した言い回しだと思います。
ただ私の世代では、たとえ大事なペットでも「亡くなる」という言い方には違和感があるのです。

 三島由紀夫の言葉だったと思いますが、
「弁当を食べるとは言わない。弁当は使うと言うんだ。」
というのがありました。
初めて聞いた時は、「えーっ、そうなの?」と思いましたが、「弁当を使う」という言い回しは落語を聞いていると沢山出てきます。
 それから、「あたりまえ」という言葉。
これは明治時代に「当然」を間違って「当前」と書いていたのを、誰かが「あたりまえ」と読んだのが始まりだと聞いたことがあります。
本当かどうかわかりませんが。

 「弁当を使う」は死語として淘汰され、「あたりまえ」は、しっかりと根付いて、それこそ当たり前に今も使われています。
 今、私が違和感を持っている言葉は、今後根付いていくのでしょうか。
それとも淘汰されるのでしょうか。
 
 「弁当を食べる」という言い回しに、三島由紀夫がイラついた気持ちは本当によくわかりますが、今私たちが使っている日本語はそんなふうにして生き延びて来た言葉なのです。
それが洗練されているかどうかは別として。

 愛するペットを失って、それを「亡くなった」と言うのに何の違和感があると言うんだ。
と、お叱りを受けるかも知れません。
もし、気を悪くされたらごめんなさい。
心から謝罪致します。
あ、謝罪させて頂きます。


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