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高村光太郎「智恵子抄」のこと。 でも、やっぱり愛してる。


 電子書籍ってスゴい。
紙の本が一番だとは思うが、なんとこれは自分の本棚をケータイに入れて持ち歩けるんだぞ。
スゴくないか?
えらい時代になったもんだとつくづく思う。
しかも昔の本なら、
「お代?いえ結構です。どーぞどーぞ、よろしかったら。」
と、気前よく入手させてくれる。
もちろん昔の本ならなんでもという訳ではないが、夏目漱石だろうが、樋口一葉だろうが、
泉鏡花だろうが、
「あ、これなら大丈夫ですよ。どーぞどーぞ。」だ。

 ところで私は自分の蔵書のほとんどを処分してしまったバチ当たりな人間だ。
そしてこの十字架は一生背負って生きて行く泣。
その思いがあればこそ、捨ててしまった本たちへの供養の意を込めて、新たな本の購入は厳選しているのだ。
それなのに。
ポチッとクリックひとつで、尊い文豪たちの本が無料で手に入る。
「なんやそれ」だ。

 「智恵子抄」は私の高校生の時のいちばんの愛読書だった。
光太郎と智恵子の「純愛」にどれほど乙女心を締め付けられたことか。
その「智恵子抄」が、例のケータイブックストアで「どーぞどーぞ」扱いされていた。
ああ、あの名作にこんな所で再会するとは。
なんとも痛ましい気持ちでポチッとした。
(したんかい。)

 「智恵子抄」の中で光太郎は智恵子のことを「あなた」と呼ぶ。
「智恵さん」と呼ぶ。
 昭和の終わりの時代、女をそんなふうに呼ぶ男はマンガや小説以外に私のまわりにはいなかった。
まして明治大正という時代に、
「私にはあなたがある」
なんて事を言う男がいたなんて。

 河内弁が飛び交うガサツな町の片隅で、「智恵子抄」の文庫本をそっと閉じ、私にもこんなふうに自分の事を「あなた」と呼んでくれる人に出会える日がいつか来るのかしらと、ホゥッとため息をついた17歳の乙女は、この時全然気づいていなかった。
「智恵子抄」の中からは、智恵子の声がまったく聞こえて来ないことに。

 それから数年後、「高村光太郎のフェミニズム」と言う本を読んで私は凄いショックを受けた。
この本の著者はフェミニズムの観点から「智恵子抄」を取り上げ、「純愛」だとか「献身」だとか美しく祭り上げられている「智恵子抄」を強く批判していた。
ほぼ糾弾と言ってよかった。
 ずいぶん前に読んだ本なので詳しくは覚えていないが、とにかく光太郎のエセフェミニストぶりをこっぴどく書き連ねてあったように記憶している。
中でもはっきり覚えているのは「智恵子抄」の後半、「智恵子の半生」と題された光太郎の手記を引用し、噛みついているところだ。

 彼女も私も同じような造型美術家なので、時間の使用について中々むつかしいやりくりが必要であった。
互いにその仕事に熱中すれば一日中二人とも食事も出来ず掃除も出来ず、用事も足せず、一切の生活が停頓してしまう。さういふ日々もかなり重なり、結局やっぱり女性である彼女の方が家庭内の雑事を処理せねばならず、おまけに私が昼間彫刻の仕事をすれば、夜は食事の暇も惜しく原稿を書くというやうな事が多くなるにつれ、ますます彼女の絵画勉強の時間が食われる事になるのであった。

「智恵子抄」より「智恵子の半生」

 当時の男としては、光太郎は群を抜いてフェミニストだったのかも知れない。
でも「結局やっぱり女性である彼女の方が家庭内の雑事を処理せねばならず」という思考に、光太郎のフェミニストとしての限界があるという事だった。
 他にも智恵子に対する光太郎の横暴を挙げ連らね、最後には智恵子の遺作となった膨大な数の「切り絵」にまで言及していた。
 智恵子が精神と胸の病で療養していた最後の時、彼女は切り絵制作に没頭していた。
「人間界の切符を持たない」智恵子が最後に残した千枚にも及ぶこの「芸術作品」を、私は涙なしには見る事が出来ないと、字面からして感情的に著者は書いていた。
世間から、生活から、そして光太郎からも自由になり、自分が求めて止まなかった芸術への思いの丈を、智恵子は病いの床で「切り絵」に託したのだと。

 若かった私は、この本に書いてある事を鵜呑みにした。
将来誰かと結婚したら、智恵子と光太郎のような夫婦になりたい。
人知れずこっそりそんな事を思う、まだ何も知らない17歳の少女のままだった私は、「そうだったの?!」と心底落胆した。
 あんたが耽溺した初恋の男は、とんでもないロクデナシなんだって、これでわかった?
この本は大声でそれを私に言って聞かせたのだ。
 こうして私は「智恵子抄」を遠ざけ、17歳の自分を嗤い、あからさまに光太郎を軽蔑した。
「智恵子抄?ああ〜、アレね。ハイハイ。」だ。

 時は流れてYouTubeなるものが現れ、処理しきれないほどの情報が私の生活の中にも入り込んできた。
その中で私は「売り言葉」という、「智恵子抄」を題材にした舞台演劇を見つけた。
 大竹しのぶの一人芝居で、野田秀樹作、演出となっていた。
そしてここでも、光太郎は優しい極悪人として描かれていた。

 タイトルが「売り言葉」なのだから、そこに「買い言葉」は存在しない。
終始智恵子の独白で高村光太郎という芸術家の偉大さ、優しさ、狡猾さ、愚かさが語られる。
「智恵子抄」の中では決して聞くことのない智恵子の声だ。

 狂人をやらせたら右に出る者はいない女優、大竹しのぶの熱演がとにかくスゴくて、なんやかや3回は観た。
劇の中で、芸術活動のために困窮生活を送る智恵子が、光太郎の自分に捧げられた詩を読んで愕然とするシーンがある。

をんなが付属品をだんだん棄てると
どうしてこんなにきれいになるのか
あなたが黙って立ってゐると
まことに神の造りしものだ
時々内心おどろくほど
あなたはだんだんきれいになる

…あたし、別に好きで付属品を棄ててる訳じゃないんだけど…。

あなたは本当に私の半身です
あなたが一番たしかに私の信を握り
あなたこそ私の肉身の痛烈を奥底から分かつのです
あなたは私のために生まれたのだ
私にはあなたがある
あなたがある あなたがある

私、あなたのために生まれたの…?

智恵子は光太郎の詩の中にいる自分に違和感を覚える。
「これが私なの?」

 「売り言葉」の中で智恵子は嫌というほど打ちのめされ、実際には智恵子が知るよしもなかった光太郎の不実をも挙げつらって劇は終わる。

 還暦を超えた私の中には、さすがにどこを探しても17歳の少女はもういない。
フェミニスト作家の本や、光太郎の悪行をフィーチャーした演劇にも、動揺することなく向き合えるくらいの分別は身につけたつもりだ。

親の金でヨーロッパ留学をし、帰国後はこれまた親の金で放蕩の限りを尽くし、芸術家を気取り、親に建てて貰ったアトリエに住み、結婚後も何の悪気もなく妻を追い詰めた。
 確かに光太郎という男はそういうただのお坊ちゃんだったのかも知れない。
でも、人の人生は長い。
増長もすれば、転落もする。
後悔だってもちろんする。

 光太郎は智恵子の死後、戦時下において国家動員や戦意高揚を高らかにうたい、若者を戦場に送った。
戦後、そんな自分を恥じ、戒め、岩手県の山奥に引きこもった。
水道も電気もない場所で、決して若くはない体で、土地の人に支援されながらの隠遁生活だ。
当時、戦争協力をした文化人の中でここまでした人間はどれほどいただろう。
しかも反省文まで発表して。

 私がすごいと思うのは、光太郎も智恵子も逃げなかったということだ。
統合失調症の症状の凄まじさは、見たことのない人にはわからない。
何時間でも喚き、暴れる。
光太郎が智恵子を追い詰めたから心を病んだなんて、とんでもない話しだ。
統合失調症は脳の病気なのだ。
たしかに智恵子の病気に向き合うことへの逡巡はあったかも知れないが、結局光太郎は逃げなかった。
逃げなかったからこそ、「智恵子抄」は生まれたのだ。
そして智恵子も、自分の芸術からは結果的に逃げなかった。
あの千枚に及ぶ「切り絵」がその証拠だ。

 光太郎と智恵子の人生の上澄みを、そっとすくった「智恵子抄」という本をどんなふうに読むかはその人その人の自由だけど、出来ればその中に書かれてある言葉の美しさをしみじみと味わうことこそが、本当じゃないのかなと私は思う。
何十年も前に、17歳の少女がそうしたように。





 



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