伊ローマでサン ジョバンニ イン ラテラノ大聖堂訪問
2019年にローマ市内をおさんぽしました。
しばらく経ってから、サン ピエトロ大聖堂やラテラノ大聖堂ってなんかすごかったなあ、なんでだろうと調べたら、それらはローマの4大バジリカと知りました。
2022年に再訪した際にはサンタ マリア マジョーレ大聖堂とラテラノ大聖堂へ行くことができました。
江戸時代に今のヴァチカンのサン ピエトロ大聖堂が出来るまではラテラノ大聖堂に教皇が居たので、聖フランチェスコがアッシジからローマに来て教皇に会ったのも、日本からやってきた遣欧使節団や支倉常長やカスイ岐部が来たのもこちらのラテラノ大聖堂だったらしい。
???このあたり小説読んでそう思ってたんだけど、ちょっと怪しい???
このときは横のローマ城壁とかを見たりしてたんだけど、あとからこの正面なんだったの? と気になってラテラノ大聖堂を調べたら、とっても重要な場所と知りました。
で、2022年再訪した際にじっくりと。
サン ピエトロ大聖堂が江戸時代初期(と書くと実感が増す気がする)にできるまではこちらがカトリック教会の総本山だったのでいろいろな人がこちらへやって来ています。
戦国時代や江戸時代初期にはるばる日本からやってきた猛者たちもローマ教皇に謁見したのはこちらのラテラノ大聖堂だったはず。
イタリアの守護聖人 聖フランチェスコもこちらでローマ教皇に謁見したのでしょう。
個人視点ですが、
聖フランチェスコはフィレンツェのサンタ クローチェ聖堂へ行ってから興味がわいて色々気になる人なのです。
清貧の人だったとか、小鳥に説教するといったおはなしが伝わってますが、なんでフランシスコ会が鎌倉時代初期頃(時間軸として実感がわく)に大流行して大きな会派になったのか、ローマ教皇に謁見して布教を認められたのか、何かそれまでと違う特色があったからだと思うんですね。
たぶん、
唄って踊ったから。
が、ポイントなんじゃないかと思います。
へえ、フランチェスコって唄って踊ったのか、
唄って踊るって元気がでていいし と思ったら、
日本でも1200年頃 鎌倉時代に法然や一遍が踊ってますね。
その頃は両者というか日本とヨーロッパで交流はまったくなかったはずだけど、同じころに宗教+歌と踊り が発生したって面白いなあと思います。
なんでだろう? 天変地異があって唄って踊らないとやってられないという地球環境だったのか、人の生物としてのタイマーだったのか判らないけれど、どちらも宗派、会派として大流行した歴史があります。
フランシスコ会と聖フランチェスコについてはサンタ クローチェ聖堂へ行ってから気になるのだけれど、聖フランチェスコも会派もしっかりした履歴やシステムがあってキリスト教やカトリックを知る大きな手掛かりと思っています。
機会があれば、アッシジやフィレンツェ行きたいなあ。
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