終焉

 先生、ご無沙汰しております、さくらです。もう、何年ぶりくらいでしょうかね。16年ぶりくらいですかね。こちらは、あっという間に2040年になりました。ずいぶん時間が経ちました。昔はよく手紙を書きましたよね。わかりやすく言うと、私は先生の字がとても好きでした。嬉しそうに研究の進捗を綴る先生の思い、私も同じように嬉しく感じていました。でも、よくよく考えると、先生が嬉しかったかどうか、文章だけではわかりませんよね。それでも私は、先生が嬉しそうにペンを動かす情景を想像せずにはいられませんでした。

 私は今でも、毎日、先生のことを考えています。先生は気づいていましたでしょうか。私の想いは、すべて先生にありました。ただ、絶対に先生にはご迷惑をかけてはいけない、その思いも強かったので、ただただ楽しいだけの毎日で十分でした。今もずっと続いている胸の痛みは、先生に出会えた喜びと、ずっと隠していた恋心というものでしょうか、この痛みが人間として生きてこれた喜びの全てだと思います。覚えていますか、先生と治療医学について考えを交わし合ったことがありましたね。どこまでを人間と呼ぶのか。どこまでを生命と呼ぶのか、人間の体を機械で補った場合、それはゾンビと変わらないのではないのだろうか、先生は真面目な顔でそう語っていましたよね。私は先生のその表情を眺めながら、いっそのこと世界の時が止まってくれればいいのに、と、本当にそう心から願いました。それでも時間は止まりませんでしたね。当然です。地球は太陽の周りを回っています。こんなことも言っていましたよね、地球の公転するスピードが2分の1になったら、人類の1日は1日でいられるだろうか。年齢の概念はどうなるだろうか。時間の概念はどうなるだろうか。それでも先生は、延々人間の皮膚の話をしていましたね。私は生物の成長と劣化に着目していたのですが、まさか皮膚の話を4時間も楽しそうにされるとは思いませんでした。あの時間こそ、私が先生を慕っていて一番嬉しい時間でした。愛とは違うかもしれませんが、生きていて本当に良かったという自覚がそこにありました。

 先生、先生にとって2040年とは未来ですか?それとも虚像ですか?もうすぐ世界は終わってしまいます。とても楽しかった時間が、音を立てて崩れ落ちていくのです。街はゾンビで溢れかえり、私はただ、時を待つだけになるでしょう。それでも今、先生のことを想いながら世界の終わりを見守れることを嬉しく思います。人類はここに来るために生きてきたのでしょうか。それともここに来させられたのでしょうか。先生は時間は止めることはできないが、速さは変えることができるとおっしゃっていましたね。人それぞれが、それぞれの1日を持てば、1日は24時間である必要は無い。その言葉を、今はなぜか噛みしめております。そろそろ時間です。先生、私に力をください。なにもかもを受け入れ、そして、なにもかもを忘れ、なにもかもを変えて、なにもかもを消し去ります。先生のことを想いながら、人類の終わりとともに、私を終わらせます。それでは、またのちほど。

(大きな会場に盛大な拍手が鳴り響く)

さくら「皆様、誠にありがとうございます。只今紹介に預かりました、日本生物稼働工学研究所のさくらです。本日このような日を迎えられたことを大変うれしく思います。先程皆様に見ていただいたデモンストレーションのとおり、この当研究所が開発した技術は、人体を0・02秒という速さの中、マイナス700℃にさせることで、何の違和感も無く、それまでの生活と同じ感覚で、その体をこのコンティニュエーションボディに移行させることができます。その耐久性は、永遠です。当研究所でしか生成することができない特殊な皮膚が人間としての尊厳を守ってくれるのもこのボディが誇る特性です。もちろんメンテナンスや200年に一度のパーツ交換などはありますが、人間でいう健康診断のようなものです。そして、痛みを感じるのと同じ危機管理センサーはありますが、それは脳ではストレスとして感じません。そして人間がこれまで悩まされ続けてきた精神的な痛みはまったく無くなるのです。うつ病もなく、発達障害もなく、適応障害もなく、ありとあらゆる精神疾患がこのボディのサポートによって無くなります。もちろんそれを証明するため、私がこのボディの最初の移行者になります。半年後、私の状態が主要6か国で認可されたのち、この技術が新しい世界の幕開けとなることでしょう。過度な感情に胸を痛めることはありません。世界で差別も争いのない、穏やかな日常を取り戻しましょう。それを実現できるのがこのコンティニュエーションボディです。当研究所が持つ最大で最終的な技術という意味から、この最終モデルを…」

「Zボディと名付けました」

(再び会場に盛大な拍手が鳴り響く)

 先生、わたしももうすぐそちらへ向かいます。役目を終えたら、私にはもうこれ以上存在する意味がありません。そちらでまた楽しいお話を聞かせてください。楽しみにしております。

 先生、本当にありがとうございました。
 今、胸が、とても苦しいです。

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