最強の働き方

仕事しすぎなみなさんどうもこんにちは
ビジネスマインドチャンネルです

今回は、佐藤優氏著書の
最強の働き方
について解説していきます。

本書は、資本主義社会での適切な働き方について書かれています。
人生の意味を見失わない働き方をしましょうね!

それではさっそく本書の要点を3つお伝えしていきます。

要点1
働き方改革は、資本家(経営者)の利益に合致したかたちでの労働再編だ。そして、資本主義の根本的な構造とは、金と命を交換するということである。働き過ぎてはいけない。

要点2
資本主義システムの中で持続的に賃金を稼いでいるということは、見えなくても誰かの役に立っているということだ。このリアリティを持てるかどうかで生き方は変わる。

要点3
仕事の目的とは休むことだ。余暇を楽しく過ごせば、日々の仕事に潜んでいる問題をあらい出すこともできる。仕事の論理だけで全てを考えようとしないことだ。

チャプター1!働き過ぎてはいけない

政府が考えている働き方改革は労働法制を根本的に変えていくことである。まずは残業の上限規制がある。これは、カール・マルクスの『資本論』を読んでいればわかるように、資本主義システムを守るためにやっていることだ。残業を極端に多くすると、人間が死んでしまうので、次世代の労働者を生み育てることもできなくなり、資本主義システムを再生産できなくなってしまう。

ほかに同一労働同一賃金がある。これは同一企業内の正社員と契約社員を同じにするということを意味する。年功序列の賃金制度を不合理だと考えて、正社員の賃金を切り下げて契約社員に近づける。それによって、低賃金のまま、一生正社員を使い切ろうという発想が根本にある。

さらに雇用関係によらない労働、つまり自分自身が個人事業主だということにして請負契約をすることを促進すれば、会社は社会保険料や雇用保険を払わなくていいので節約できる。

なので、基本的にこうした改革は、まさに資本家(経営者)の利益に合致したかたちでの、労働再編なのである。

それらを理解するために、労働者と資本家の関係性を考えてみる。
労働者は自由で平等な関係で資本家と契約し、契約時間内、職務の範囲内だけ資本家のいうことを聞けばよい。
しかし、例えば労働者を時給1000円で雇っているとすれば、企業は絶対に1000円以上儲けている。その儲けは資本側からみると「利潤」で、労働者からみると「搾取」なのである。資本主義社会において、「搾取」は合法だ。雇用契約をして労働者に賃金を払っていても、労働者が生み出している付加価値に対しては支払われないことになる。

労働者自身に働く能力はあるが、生産手段がないため、雇用されないとそれを使うことができない。雇用されたら、企業の命令に従って働くしかない。つまり労働者は労働の主体にはなっていない。「私はこの仕事がしたい」「自己実現をはかりましょう」といっても、資本主義において、労働者は自己実現できない。資本主義においては資本家の自己実現しかないのだ。

労働力を買っている資本家の権利は、少しでも労働者を合理的に、効率的に使って、利潤を増大させることだ。対して、労働力を売っている労働者の権利は、生活したり仕事を続けたりする、生きる権利ということだ。買い手の権利は金の問題、売り手の権利は命の問題である。つまり、金と命の交換をしているというのが、資本主義の根本的な構造なのだ。

しかし、人間の価値からして明らかに、金より命のほうが上である。無理をかければ、労働者が再生産できなくなり、資本主義システムがつぶれるということは、マルクス経済学を知っていれば感覚としてわかる。だから、日本国憲法や労働基準法で、資本家だけでなく労働者の生きる権利を守ることは、永続的に資本主義を発展させるための仕組みでもある。

うーん、たしかに資本主義は搾取が合法といいますからね!
資本家の思惑通りに働きすぎても無駄なことも多いですね。

チャプター2!資格をとっても、なんとかならない資格もある

著者が大学で講義を行うときには、初回に『逃げるは恥だが役に立つ』(TBSドラマ)の第1話の出だしを見せるという。
主人公の森山みくり(新垣結衣)は就活が上手くいかなかったので大学院に進学して、臨床心理士になった。
だがその後も就職先が見つからず、派遣会社で勤めていたが、派遣切りにあってしまう。

著者によると、そもそも就職できないから大学院に行くという選択も間違いなのだが、その上で臨床心理士の資格取得を選ぶというのも間違っている。臨床心理士の世界とは、精神科医が牛耳っている世界である。その業界では簡単に就職先が見つからない。資格をとればなんとかなるといっても、なんとかなる資格と、なんとかならない資格があるのだ。

ほかにも、有望と思われていてもなんとかならない資格が2つある。
1つ目が弁護士だ。旧制度では毎年500人が合格していたが、これが今では1400人にまで膨れ上がっている。弁護士の年収の中央値は400万円台後半という推計があるが、年に10億円稼いでいる弁護士もいれば、年収100万円台の人もいる。とすると実際にはかなり低い年収の弁護士が多くいると思われる。月数万円の弁護士会費を払えず、数十人の若手弁護士が毎年廃業しているのである。
なんとかならない資格の2つ目が公認会計士である。公認会計士は試験合格後に監査法人で2年間勤務しなければ、公認会計士免許を取得できず開業することはできない。現在、公認会計士試験に合格して監査法人に就職できる人は約8割である。残りの2割は難関試験を合格しても、監査法人に就職できないのが現状なのだ。

試験としては公認会計士よりも税理士の方がやさしいが、税理士はなくならないと著者は断言する。なぜなら、税理士の仕事は税務署と交渉しながら税額を決めることだからである。税金を取り立てる現場では、額面通りとれるか、裁判沙汰にするような人だからできるだけとるのか、そもそもの不透明な制度の中で判断しなければいけない。人間的な要素があるため、AIの時代になっても税理士はなくならない。将来的にどういう職業があるのか、ないのかは、自分の頭で考えなければならない。

チャプター3!会社を辞めてはいけない

転職すると収入が3割下がるというのが現実だ、と著者はみている。
つまり、2回転職すると約半分になる。給料は同じで労働強度がそれだけ強まってくる。3回目以降はそんなに下がることはない。転職するときはこのことを肝に銘じるべきだ。

ただし、今より条件がよくなることも例外的にある。それは転職先の会社幹部が能力を評価して、良い条件で引っ張ってくれるときである。そのような場合は転職を考えた方がいい。

現在の勤務先がブラック企業なのか、教育が厳しい企業なのか、若いときにはわかりにくいかもしれないが、次のようなことは判断基準の一つになる。自分より上の人を、5年、10年、15年、20年、25年まで、5年ずつ輪切りにしてみる。そして、自分より25歳年上の人までで、尊敬できる先輩が1人もいなければ、ブラック企業と考え、早く脱出すべきである。何人か尊敬できる先輩がいるならば、その会社にいる意味がある。

セクハラやパワハラなど、何か悩んだときには、人事課に直接駆け込まない方がいい。
1回は勝つかもしれないが、基本的に組織というものは上に味方するという法則がある。そのため、異議を申し立てた人間に関して、ものすごく警戒するので、結果としてあらが目につくようになる。よって、著者が見た中では、勇気を持って異議申し立てをした人たちはだいたい、人事処分でよい目にあわない。あるいは退職に追い込まれてしまう。

では、社会に出てどうやって問題を解決すればいいのか。直属の上司に相談することは控えた方がいい。直属の上司は相談されたら困る場合があるからだ。いくらその人の身になりたくても、問題にされたくないからだ。相談する相手としてベストなのは、同じ会社か、もしくは会社を既に退職した、ななめ上の人に相談することである。例えば、かつての上司などだ。そうすれば、直接の利害関係者ではなく、査定や責任の問題にもならないので、親身に相談にのってくれるだろう。客観的なアドバイスをもらえる可能性も高い。

賃金を稼いで生きているということは、誰かの役に立っているということ。
冷たい資本主義の内在的な論理を理解することは大切だが、それをそのまま受け入れるのではなく、問題解決はさまざまな方法で目指していかなければならない。そこで、著者が重要と考えていることは、超越的なもの、合理性を超えたところに対する感覚である。

聖書の『使徒言行録』には、「受けることよりも与える方が幸いである」というイエスの言葉がある。与えることができるということは、自分が受けているものがあるということでもある。この受けたものというのは、自分の能力で勝ち取ったものではなく、さまざまな人に助けられているものなのだ。その根源は、人間の命の力だ。こうした感覚を持つことが非常に重要だ。

こうした観点から見ると、仕事をつらい、面白くないと思ったりすることもあるかもしれないが、資本主義システムの中で誰にも必要とされない仕事は一つもないということがわかる。必要とされない仕事は、持続的には賃金を得られない。つまり、自分で、賃金を稼いで生きているということは、見えないけれども誰かの役に立っているということだ。このリアリティを持てるかどうかで、生き方は変わってくる。

仕事の目的は休むことだ
自分たちの生活を見直す

gilaxia/gettyimages
20世紀に生きた哲学者ヨゼフ・ピーパーの『余暇と祝祭』を読み解きつつ、著者は語る。我々はもう1度、自分たちの生活を見直すべきであると。この本のポイントは、「働き過ぎてはいけない」ということだ。

前述のマルクスによれば、労働は人間にとって本来喜びだが、資本主義社会では労働者は労働生産物から疎外されている。また、自分でどんなものを生産するかも決められないので、労働者は労働過程からも疎外されており、だから労働自体が面白くないのだという。

しかし、ピーパーにいわせれば、マルクスのそうした考え方自体が近代的であり、仕事の目的は休むことだという。もっとも、マルクスの考えからしても労働力商品は余暇からしかつくれないので、ピーパーの発想はマルクスと親和的であるが。

余暇とは、1人静かにしていることではない
余暇とは、恋人とデートしているとき、気の合う友だちと騒いでいるとき、もしくは夫婦が何気ない会話をしているときといった、リラックスしているときを指す。何もやることがなくて1人静かにしているということではない。余暇の場には、人がいて、究極的にはそこに神がいるという考え方を、ピーパーはしている。

誰かと過ごしているとき、相手に対するまなざしといえるような、配慮や思いやりがそこにはある。それには「神のまなざし」に似たものが含まれているという。「神のまなざし」とは、神様が自分で世界をつくったあと、それを見てよしと思う、肯定の態度だ。

こうした余暇という思想がわかっていれば、自分が今している労働が、奴隷的労働なのか、自由な労働なのかもわかる。著者にとっても、同じ原稿を書く仕事にしても、終わったあと「疲れた」「早く終わってよかった」と思うものと、「うん、これでよし」と思えるものとでは違う。奴隷的労働なら、それを自覚しておくことが大切だ。

『余暇と祝祭』はまだ続く。余暇というのは理屈の世界でなく、わっと楽しく、みんなで祭りをするという感じである。例えば久しぶりに帰ってきた娘を囲んで食事会をして、「あー楽しかった」というようなことだ。

我々は祭りをつくることができる。そうすれば、余暇を楽しく過ごすことができるし、日々の仕事に潜んでいる問題をあらい出すこともできる。仕事の論理だけで全てを考えようとしないことだ。

一読のすすめ
「リスクは誰にでも襲いかかる」「仕事をしていたら孤独が待っている」など、本要約でご紹介しきれなかった部分も、非常に読みごたえがある。広がる格差社会の実態や、賃金というものをどう考えるべきかなど、働く上で押さえておくべきポイントがたくさんある。大使館での勤務時代や外務省での裏話など佐藤氏ならではの体験談も満載だ。ぜひ、厳しい現代社会を生き抜くヒントが詰まったこの一冊を手に取り、あなたらしい「最強の働き方」を実践していただきたい。

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