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ビジネスマンとして頭一つ飛び抜けるために

ビジネスマンとしてのマインド

堂々とした態度=それだけで仕事が出来ると思わせることできる
全く同じ内容でもはきはき堂々とした方が仕事が取れる

とにかく、

堂々としろ!!

錯覚の科学というハーバード大学の心理学者の本
自信満々に間違ったことを言う人自信なさそうに正しいことを言う人のどちらに従うかと言う研究で、多くの人は自信満々に間違ったことを言う人に従うという結果が出た。

つまり、論理的な正しさよりもその人の話し方や姿勢、表情といった本質的な部分で評価の大部分が決まってしまう

これは根拠のない自信を持ちなさいということではなく、
声のボリュームを上げる
背筋を伸ばして胸を張る
目を見て話す

等日常の過ごし方で評価が変えられるということ

特に背筋を伸ばすことは周りからの印象だけでなく、内面にも大きな影響がある。
スペインのマドリード大学で行った実験で、背筋の伸びている学生と猫背な学生で長所に対してそう思うと答えた学生は背筋を伸ばしている学生グループが圧倒的に多かった

つまり背筋を伸ばしている学生の方が自己肯定感が高いわけだ

損をする話し方


「~と思います」などワンクッション置く言葉
・○○させて頂きますなど過度なへりくだりを止める
・間を埋める言葉を減らす

言い切ることが大切


世の中には業界ごとに様々な”カリスマ”と呼ばれる人たちがいる
本当に凄い”カリスマ”もいれば、全然凄くない”カリスマ”もいる、その

”カリスマ”の定義はすべてのことにおいて”言い切ること”

人は”言い切ること”で自信につなげ、”言い切られること”で信仰につながる。

さらに言い切ることは、論理力を鍛えることにもつながります。なぜなら断言した内容の前後にはきちんとした理論で固まっていないといけないからだ。

「人は、良し悪し(善悪)の判断を述べる人を強く信用し、また強く嫌う」のだ。
だから、コンサルタントや専門家がむずかしい顔で言う
「慎重に判断すべき問題ですね」「検討すべきですね」「意見交換が必要だと思います」「模索していく必要があります」「あくまで可能性です」
など、煮え切らない「慎重な」意見は、いくら正しかろうが、あまり重視されない。

不寛容に基づく「言い切り」こそ、影響力の源泉


webマーケティングや、SNSでの情報拡散、といった領域でも、「言い切り」は非常に重要な要素の一つだからだ。

「双方の言い分はよくわかる」「世の中を良くしていきましょう」「皆の言い分に耳を傾けましょう」

といった「善悪の指針」を設定しない意見は、誰の心も揺さぶらないので、ほとんど何も動かせないことが、記事を書くとよく分かる。

つまり、否定はされないが、支持者を集めることもない。
炎上もないが、バズもない。そういうことである。もちろん、いい切ればよいというものではない。

思想の偏りが裏目に出て、大澤昇平氏のように失脚する人物もいる。
「言い切り」というリスクを負わずして、影響力を得ることは不可能だ。

マツコ・デラックスや堀江貴文氏、が影響力を持つのは、正しいからではなく「あいつはアホ(バカ)」と、言い切るからだ。

トランプが大統領に君臨できているのは、正しいからではなく「メキシコの国境に壁を作ってやる」と、言い切るからだ。

資本論が魅力的なのは、共産主義革命の正しさが証明されたからではなく「資本主義は崩壊する」と言い切るからだ。

宗教団体が強力なのは、「真理は我にある」と言い切るからだ。

公民権運動が盛んなのは、「差別は悪だ」と言い切るからだ。

そこには論理や、科学的な態度はあまり必要ない。

影響力を行使するのに必要なのは、「多様性への寛容さ」ではなくむしろ「自説に対する強烈なコミットと不寛容さ」である。
むしろ「なぜ彼らは悪なのか」をくどくど説明するよりも、論理をぶっ飛ばして「アイツらは悪。非人道的。だから許せん。」のほうが、より深く刺さることを、権力者や運動家はよく知っている。

だから、「我々は正しいが、彼らにも一理ある」といった「慎重な発言」は、影響力という点において、「一貫して言い切る人」に、決して勝てない。

一国の指導者が、「敵側にも一理ある」などと言おうものなら、彼は失脚するだろう。

逆に、そうした人間心理を「ハッキング」すれば、いともたやすく大衆を扇動できるので、これは「悪用」も可能だ。

人心掌握の本質がそこにある


差別解消運動にかこつけて、「正義は我にある」と、暴動を引き起こす人々。不倫する芸能人を攻撃し、ウサを晴らすこと。「差別主義者を差別する」ことに、何の躊躇もない人。

彼らは「真理」や「客観的な情報」を、人がわざわざ追求しないことをよく知っており、むしろ「正しさ」よりも、「言い切り」の影響力を重視する。
だから「フェイクニュース」はなくならない。発信側の費用対効果が高いからだ。

企業が「尊敬」されない理由


逆に言えば「企業」を担う商人たちが、尊敬を集めることができないのは「言い切れない」点にある。
つまり、企業はマーケットを広く取ればとるほど利益が大きくなるため、意図的に「善と悪」を判断しないことが多々ある。

「炎上したら困るし……」とマーケティング担当者が思い切った施策を打てないのは、そのためだ。

商人は、太古の昔から、意図的に善悪の判断を保留している。例えば「金さえあれば、誰でも取引しますよ」というセリフ。

これが、悪者のセリフに見えるようなら、それはあなたが商人を信用していないことの証である。

なぜなら、「金さえあれば、誰でも取引しますよ」というのは、本来であれば「身分」「国籍」「人種」などに関係なく、平等に取引しますよ、勝手に善悪の判断はしませんよ、という、最も寛容なメッセージにも受け取れるからだ。

「誰でも対価をしはらってくれればお付き合いできます」は、額面通り取れば、決して悪い意味ではない。が、このセリフが尊敬とともに言われることはない。

なぜなら「寛容である」ことと「正義と悪を区別しない」ことは、表裏一体だからだ。

実際には「反対意見に配慮なんかしない」人たちが、世の中を動かす
彼らは決定することのリスクを取っており、不寛容に基づいて、人々に対する影響力を行使する。

これが「慎重な意見」が「言い切り」に、影響力において、決して勝てない理由だ。
「言い切る人」は、あまりにも強すぎる。



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