「いい人」では成功できない○○の理由
私は法人営業を長くしていたこともあり、起業家や会社経営者をはじめ、数多くのビジネスパーソンに出会ってきましたが、成功(会社員であれば昇進やヘッドハントされる)していく人とそうでない人との間には、大きな違いがあることに気がつきます。
そのひとつが「他人の目を過剰に気にして合わせるいい人か、そうでないか」です。
私が知る成功者のほとんどは、唯我独尊タイプです。
他人からどう思われようと、周囲が何を言おうと気にせず自分の信念や主義主張を貫こうとします。
そのため熱烈なファンもいれば、同時に強烈なアンチから批判を受けます。しかし彼らはまったく臆することも、動じることもなく、つねに新しいことにチャレンジしています。
私自身はまだまだ成功と呼べるようなレベルではありませんが、今は毎日が自由で、朝はワクワクしながら目覚め、夜は充実した気分で眠りにつくことができています。
その理由のひとつはやはり、他人からどう思われるかを気にしないようになったからだと思っています。
やりたいと思ったら周囲の人間関係に遠慮なく、何でも言えるし何でもできます。
逆に、他人の目を過剰に気にしてしまういい人は、どうしても本音が言いにくくなります。
周りに合わせて控えようとしてしまうのです。
いい人はイノベーションを起こせない
スティーブ・ジョブズ、イーロン・マスク、孫正義、鈴木敏文――。
革新的な製品やサービスを世に送り出してきた人間は、並の人ではありません。
たいてい変人という伝説がセットでついています。
反面、「いい人」にイノベーションは起こせません。
彼らは常識人だからです。
いい人は、他人からどう思われるかを過剰に気にする傾向があります。
それはつまり、自分の価値基準より、他人の価値基準をより重視しているということです。
これは仕事でも当てはまります。
価値があるかないかを決めるのは自分ではなく他人という意識があるため、自分の意見やアイデアよりも、他人の評価を優先させてしまいがちです。
そのため、「そんなの無理」「面白くない」「そんなの意味あるの?」「売れるの?」「誰が買うの?」「失敗したらどうするの?」などと周囲から否定・反対されたらすぐにあきらめます。
周囲に同調することを優先してしまうと、周囲と摩擦を起こしてまでも自分の信念を貫くことができません。
たとえば会社の会議などで、話がまとまりかけた場面でも異論を述べる人、「そんな企画アリ?」と周囲が驚くような提案をする人はどういう人か。
社内でも「あの人個性強いよね」という評価を受けている人物ではないでしょうか。
「いい人」と思われている人の発言とは
一方で、「あの人、いい人だよね~」と思われている人から、「絶対にこれをやり遂げたいんです!」などという発言がどんどん出ているでしょうか。
人から「こう思われてはいけない」という縛り、「こう思われるんじゃないだろうか」という不安から、周囲が驚くような大胆な決断や、非常識と思える行動を取ることができません。それではどんなにすばらしいアイデアや意思決定も、新しいことや変化を嫌う人、リスクを恐れる人たちの反対意見に押し切られてしまいます。
しかし、そんないい人をやめると、周囲との軋轢を恐れず、周囲に迷惑をかけてもひるまず、大胆な決断をし、自分の信念を貫くことが可能です。
たとえばコンビニの王者セブン-イレブンも、鈴木敏文前セブン&アイ会長が、周りの反対を押し切って始めたビジネスです。ソフトバンクの創業者である孫正義氏も、周りがびっくりするような事業や買収を仕掛けているのはご存じのとおりです。
また、アップル創業者の故スティーブ・ジョブズ氏も、わがままばかり言って社内を振り回したというのも有名な話です。
最近では、自動車産業や航空宇宙産業に大きなイノベーションを起こした、テスラモーターズとスペースX社のCEO、イーロン・マスク氏が挙げられます。
彼は周囲からの「そんなのは無謀だ」という批判にもひるまず、ロケットの打ち上げに成功しました。
また、猛烈な努力を社員に強い、水準に満たない人材は容赦なく切り捨てるそうで、これが日本なら炎上ものでしょう。
社会からたたかれることを恐れず、部下に嫌われることを恐れず、邁進する彼の下には、アップルなどから優秀な人材が入社しているそうです。
だからもし、あなたがイノベーティブな人材になりたいと考えるのなら、「あいつ変わってる」と周囲から評価されるぐらいの人物になる必要があります。
しかしこれは、なかなか勇気がいることかもしれません。
最強なのは「恥ずかしさ」を感じない人
では、そんな「変人」などという世間からの評価を気にせず受け入れ、自由で自分らしく生きられる人とは、どのような人種なのか。
それは、普通の人が「恥ずかしい」と感じることを、まったくそうとは感じない人です。
たとえば何日も続けて同じ服を着ていても平気。
頭がボサボサでも平気。
パジャマでウロウロしても平気。
スッピンでも平気。
自分の発言がその場を凍りつかせても平気。
「バカじゃないの?」と言われても平気。
自分のアイデアが否定されても平気。
プレゼンがうまくいかなくて場がシラけても平気。
もちろんそれはなかなか難しいことではありますが、自分が発する言葉や行為の多くに対して、恥ずかしいと感じなければ、「他人からこう思われたらどうしよう」というおそれとも無縁です。
いきなりは難しくても、自分が感じる「恥ずかしい」のレベルが上がってくれば、それだけ周りの目を気にすることなく、自由に振る舞えます。それは周囲の視線からの解放を意味し、自由に発想できる素地となり、イノベーションを起こす基礎となります。
つまり、恥ずかしさに対してもっと鈍感になること、感じにくくすることです。
そうなるにはどうすればいいかというと、ひとつは「これを恥ずかしいと感じて何かメリットがあるか?」「仮に周囲にそう思われたとして、何か困ることは起こるか?」と具体的に考えてみることです。
たとえばあなたは、同僚が昨日着ていた服の色を覚えているかというと、覚えていないですよね。だったら自分もそう見られているということです。
あなたが通勤途中、服装をビシッと決めた人とすれ違っても、「カッコいい」と感じるだけで終わり、すぐに忘れますよね。頭ボサボサでパジャマ姿の人とすれ違っても、「ヘンな人」とは思っても、やはり声はかけないし、同じくすぐに忘れるでしょう。だったら自分もその程度だということです。
そう考えると、その恥ずかしさを避けるための行動は、ほとんど意味がないことがわかります。
あるいは「それをやって他人から嫌われたら何が困るのか?」と具体的に考えてみる。
「何かあったときに助けてもらえないから」という思いが湧き上がっても、さらに具体的に考える。
何かあったときの何かって何?
大地震や洪水?
そのときその人は自分を助けてくれるのか?
助ける力を持っているのか?
助けるってどうやって?
その人とは住んでいる家が離れているからそもそも無理では……?
そうやって自分が思いついた言い訳すら具体的に考え、何が起こるか想像し予測していけば、「周囲」という漠然とした人たちに嫌われたところで、実際に困る場面はあまりない、あっても被害は軽微だろうとわかります。
ほかにも、誰かから「そういうのは不謹慎だ!」と指摘されたとします。
ここでいい人はシュンとしてしまいがちです。
しかしそれも、具体的に考えようとすれば、こう反論できるのではないでしょうか。
「なぜそれが不謹慎と言えるのか? 根拠は何か?」
「不謹慎とは誰から見たものか? 誰による判断なのか?」
「その人は、他人を不謹慎だと判断できる技量や資質を持っているのか?」
「仮に不謹慎だとして、それでいったい誰が困るのか?具体的に何が困るのか?」
そうやって突き詰めていけば、実は誰も何も困ることはなく、「不謹慎だ」という人の価値観の押し付けにすぎないことがほとんどだとわかります。
素のままの自分をさらけ出す
そうやって素のままの自分をさらけ出し続けていけば、その状況に慣れます。
それで離れていった人もいるかもしれないけれど、むしろ親近感が湧くと言ってくれる人もいる。
そして周りも「あいつはああいうヤツだ」と思うようになる。
すると自分を大きく見せる必要も、見栄を張る必要もなくなり、やろうと思えば周囲に関係なく何でもできるという自信につながっています。
もちろん、すぐに到達できる境地というわけにはいきませんが、自分を飾らないで素のままで生きても、まったく問題はないんだ、という経験を積み重ねていくことです。
つまり、もし他人の目が気になって自由に行動できない人は、自分が思っている常識やあるべき論、道徳心や社会規範に対して、自分がそれを守らなかったら具体的に何が困るのかを考え抜いてみることです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?