精神科医

こう普段から自身のアイデンティティと融和する様な希死念慮を抱えていると,まあ否応なく精神科かメンタルクリニック送りになるもので,私と精神科との付き合いももう半年が経とうとしている.

いや,正直あんまりちゃんと通院していないし,セカンドオピニオンどころかフォースオピニオン,と云う様な有様だったから真面な診断を真面に享受した覚えもないのであるが.

とは云えど,やはりおっきくて良いところ(国立大)の病院にはいい先生もいたもので,専ら宮城にいる間にお世話になっている先生は随分と物分かりのよい先生であった.なんでこんな偉そうなのか私は.


兎も角,この先生に至っては「うんうんそうだね」と私の自分語りを一頻り聞いたうえで,「君は答えが見えているようだから,あんまりいうことはないね.でどうする?薬試す?」というノリだった.とても過去一番に居心地の良い診断であった気がする.

「僕も学生の時はそんな感じだったし,周りにも似たような人いたからね.あ,卒後は院なんだ,文系?はあ~そうかあ,それはそうなるな」みたいにぽつぽつとお喋りをして,SSRIなんかを処方してお開きとなったわけである.


その後,性同一障害の治療のような何かと並行して,躁鬱のような何かのそこら辺のアレをこうしてこうじゃ,みたいな感じに経過したのだが結論として私は処方箋を受け付けなくなった.

これについては,弁明として
「頭脳労働によって学問や,絵や文章と云った芸術に漫ろに手を取り合い,活路を見出さんとする人間が,精神安定の名目で思考をぼんやりとさせてしまうのは自我の存亡にかかわる気がした」
みたいなことをぼやいた気がする.

これには医師も困ってしまったみたいで,
「破滅だねえ」
とおおよそ精神科医の口から出ることのないであろうphraseが出現することとなったのである.
そらそうよ.



今,私はこの文章を躁の状態で書いている.
鬱の時ほど,苦悩に苛みながら何とかして活路を探るものだが,躁ともなると話が変わってくるような気がする.
なんか,元気に,朗らかに線路に飛び込む気力さえ湧いてくるのだ.
明日もこうでありたい.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?