二つのシオニズム

某物書きの昔話で、
イスラエル人も、かつては、ああじゃなかった。
一度、議論した際、連中が、
「我々にも国を持つ権利がある!」と云うから、
「しかし、その国は他人から奪った土地に建てたものだろう…」
と反論すると、彼等は「分かってくれ」と懇願する眼で黙り込んだ…
みたいなことを読んだ覚えがあるが、今のイスラエルには、そういうしおらしさの残滓すら見えない。

昨夜、Copilot(Microsoftの新ブラウザにオマケで付いて来る生成AI)と、長々やり取りしてみた。
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自分
シオニズムの領袖という表現は正しいか?

Copilot
「シオニズムの領袖」という表現は、シオニズム運動の指導者や中心人物を指す際に使用されることがあります。シオニズムは、19世紀末にヨーロッパで生まれた政治運動で、ユダヤ人の民族的自己決定とユダヤ人国家の創設を目指すものです12。

例えば、テオドール・ヘルツルは現代シオニズム運動の創始者とされており、彼の提唱した政治的シオニズムは後のイスラエル建国の基盤となりました13。このような意味で、ヘルツルは「シオニズムの領袖」と呼ぶことができます。

ただし、シオニズムは画一的な運動ではなく、その指導者、政党、イデオロギーは互いに異なることが度々ありました1。そのため、「シオニズムの領袖」と一括りに表現することは、その多様性を十分に反映しきれないかもしれません。

自分
ジャボティンスキーは?

Copilot
ゼエヴ・ウラディーミル・ジャボチンスキー(1880年10月18日 - 1940年8月4日)は、シオニズム運動の指導者で、修正主義シオニズムのエツェルを率いました1。彼はまた、オデッサで自衛組織を創設し、その指導者となりました1。彼は作家、詩人、翻訳家でもありました1。

ジャボチンスキーは、シオニズム運動に傾倒するようになりました1。彼はすぐに豪腕の演説家として頭角を表し、影響力のある指導者となりました1。彼はユダヤ人の義勇軍として自衛組織を設立し、ロシア全体のユダヤ・コミュニティの防衛対策としました1。

第一次世界大戦中、彼はパレスチナを統治するオスマン帝国に、ユダヤ人軍隊を創設し、イギリス側に付いて対抗するという着想を持っていました1。彼は1918年のヨルダン渓谷での軍人としての活躍で勲章を受けました1。

修正主義シオニズムは、独立した個人のエレッツ・イスラエルの定住に焦点を当てた、デイビッド・ベン・グリオンとチャイム・ワイツマンの「実践的シオニズム」の「改訂」を提唱したゼエヴ・ヤボチンスキーによって開発されたイデオロギーでした2。

自分
ジャボティンスキーの修正主義シオニズムと、既存の無修正シオニズムとの違いは?

Copilot
ジャボティンスキーの修正主義シオニズムと無修正のシオニズム(実践的シオニズム)との間には、いくつかの重要な違いがあります。

焦点の違い:修正主義シオニズムは、独立した個人のエレッツ・イスラエル(イスラエルの土地)への定住に焦点を当てていました1。これに対して、実践的シオニズム(デイビッド・ベン・グリオンとチャイム・ワイツマンによる)は、より広範で実践的なアプローチを採用していました1。
政治的立場:ジャボティンスキーは、自由移民とユダヤ国家の設立のために独立した政治活動を行うために、新シオニスト機構(NZO)を設立しました1。彼の修正主義シオニズムは、「政治的シオニズム」のビジョンに基づいており、ジャボティンスキーは、現代の政治シオニズムの創始者であるテオドール・ヘルツルの遺産に従うと考えていました1。
領土主義:修正主義シオニズムは、主に領土の最大主義においてシオニズム内の他のイデオロギーと異なっていました1。修正主義者は全領土を占領するというビジョンを持っていて、エレツ・イスラエルの全領土に対する主権に対するユダヤ人の権利を主張しました1。
対外政策:ジャボティンスキーの指導下にあった初期の修正主義シオニズムは、解決の主要な力として英国の援助を得ることに焦点を合わせていました1。後に、ジャボティンスキーの指導部とは独立した修正主義者グループは、パレスチナの英国委任状で英国当局に対する暴力キャンペーンを実施し、彼らを追い出し、ユダヤ国家を設立しました1。

自分
実践的シオニズムは、大イスラエル主義ではないということか?
現政権党リクードによる「アラブ人の土地への強硬入植政策」は、ジャボティンスキーの思想に基づくものか?

Copilot
実践的シオニズムと大イスラエル主義は、異なる思想を持つシオニズムの流れです。実践的シオニズムは、集団農場や協同組合を建設しようとする労働シオニズム(社会主義シオニズム)が主導的な位置を占めてきました1。一方、大イスラエル主義は、ユダヤ人の「約束の地」全域への領土拡大を求める思想で、修正主義シオニズムの一部として存在します12。

リクード党は、20世紀初頭のロシアのシオニストであるヨセフ・トルンペルドール、ゼエブ・ジャボティンスキーの哲学を理論的支柱としています3。リクード党は、ヘブライ語聖書(旧約聖書)の教えに基づく領土拡大・占領地への入植をめざした大イスラエル主義を掲げています3。そのため、リクード党による「アラブ人の土地への強行入植政策」は、ジャボティンスキーの思想、特に彼が提唱した修正主義シオニズムに基づいていると言えます4。

自分
シオニズムには左派と右派があると云われているが、キブツ建設を旨とする実践が左派、ジャボティンスキー的拡張主義を右派と解して良いか?

Copilot
シオニズムには確かに左派と右派の流れが存在します。左派シオニズムは、労働シオニズムや社会主義シオニズムとも呼ばれ、集団農場(キブツ)の建設などを通じて社会的公正と平等を追求する傾向があります12。一方、右派シオニズムは、ジャボティンスキーの修正主義シオニズムに代表され、領土の最大主義やユダヤ人国家の強力な防衛を主張する傾向があります1。

したがって、キブツ建設を旨とする実践を左派シオニズム、ジャボティンスキー的拡張主義を右派シオニズムと解釈することは、一般的な理解と一致しています。ただし、シオニズムの各派閥は単純な左右の二元論で完全に説明できるものではなく、それぞれが独自の思想と目標を持っています34152。どうぞよろしくお願いいたします。

自分
最後に確認。「大イスラエル主義」とは、そもそも何か?

Copilot
「大イスラエル主義」は、シオニズムの一派で、旧約聖書に登場する古代ユダヤ=イスラエル王国の最大版図を意味する「エレツ・イスラエル」(イスラエルの土地)を最重要視する思想です1。この思想は、主流派の社会主義シオニズムに対する非主流派で、修正シオニズムの流れを汲んでいます1。

大イスラエル主義は、1920年代にゼエヴ・ヤボチンスキーによって組織化され、当時はヨルダン川東岸(現在のヨルダン)を含むユダヤ国家の建国を目ざしました1。その後、イスラエル建国後のイルグンの後継政党や右派政党が1973年に結成したリクードのほか、ヨルダン川西岸への入植地建設を支持する諸勢力が大イスラエル主義の流れを汲んでいます1。

大イスラエル主義者は基本的に和平交渉で占領地返還や領土的妥協を拒みますが、現状では占領地問題についてある程度の妥協もやむをえないとする現実派からいっさいの妥協を拒否する強硬派まで幅があります1。

自分
もう一つ確認。「大イスラエル主義者」にして「鉄の壁」提唱者でもあるジャボティンスキーの真意は先住民を放逐した後の「更地」にユダヤ人kだけの新生イスラエルを建国するのでなくて、あくまでもアラブ、ユダヤ二民族の一国内共棲(つまり 2-state solution とも違う)であったそうだが、その解釈で良いか?

Copilot
ゼエヴ・ジャボティンスキーは、シオニズムの指導者であり、修正主義シオニズムのエツェルを率いました1。彼は「鉄の壁」理論を提唱し、それはイスラエルの地ではいかなる状況下でもアラブ人の圧力に屈しない力がなければならないことを意味していました2。

ジャボティンスキーは基本的に、パレスチナ人が自身の歴史的国土におけるユダヤ人国家建設には同意することがなく、その実現は、シオニズム運動が世界大国と連帯してその支援を受けることができた場合にのみ遂げられると考えていました2。彼はパレスチナ人が自決権を進んで放棄することはないと認めた、最初のシオニスト指導者でした2。

しかし、ジャボチンスキーはパレスチナのアラブ人社会を尊重し、自身の生がある者が、このような重要な事柄について交渉に応じたり、他者であるユダヤ人にそのような大きな特権を与えるのは、不可能なことだと言っていました2。彼の考えは、パレスチナのアラブ人社会は何らかの経済的報酬と引き換えにして、ユダヤ人がパレスチナ領土において別の国家を建設しユダヤ人口を徐々に増加させ同地の多数派になることを許しはしない、というものでした2。

したがって、ジャボティンスキーの真意は、先住民を放逐した後の「更地」にユダヤ人だけの新生イスラエルを建国するのではなく、アラブ人とユダヤ人が共存する一国内共棲を目指していたと解釈することは可能です。ただし、彼の考えは、パレスチナのアラブ人社会がその進展を阻んだり台無しにすることができないよう「鉄の壁」を盾にして推進すべきだ、というものでした2。

自分
イスラエルを「鉄の壁」で仕切って、アラブ人地域とユダヤ人地域を設けた上での、「共棲」という意味か?
つまり同じ場所における二民族混棲ではない!という意味か?
鉄の壁でアパルトヘイトを具現化したものだという意味か?

Copilot
ゼエヴ・ジャボティンスキーが提唱した「鉄の壁」理論は、イスラエルの地ではいかなる状況下でもアラブ人の圧力に屈しない力がなければならないことを意味しています123。彼はパレスチナのアラブ人社会が自身の歴史的国土におけるユダヤ人国家建設には同意することがなく、その実現は、シオニズム運動が世界大国と連帯してその支援を受けることができた場合にのみ遂げられると考えていました123。

ジャボティンスキーの考えは、パレスチナのアラブ人社会は何らかの経済的報酬と引き換えにして、ユダヤ人がパレスチナ領土において別の国家を建設しユダヤ人口を徐々に増加させ同地の多数派になることを許しはしない、というものでした123。彼はパレスチナのアラブ人社会がその進展を阻んだり台無しにすることができないよう「鉄の壁」を盾にして推進すべきだ、と提案したのです123。

したがって、ジャボティンスキーの「鉄の壁」理論は、アラブ人地域とユダヤ人地域を設けた上での「共棲」を意味するものではなく、むしろユダヤ人国家の建設と存続を保証するための戦略的な理論でした123。これは、同じ場所における二民族混棲とは異なる概念です。

また、「鉄の壁」理論がアパルトヘイトを具現化したものであるという解釈は、その理論がユダヤ人とアラブ人の間に物理的な隔たりを設けることを提唱しているという観点から来ているかもしれません。しかし、ジャボティンスキー自身は、パレスチナのアラブ人社会に対して敬意を持って扱われると約束されたにもかかわらずユダヤ人から解放される希望を持ち続けていると述べていました。

自分
そのような約束が本当に伝えられたのかどうかはさておき、今のガザの惨状を見る限り、アラブ人が敬意を以て扱われているとは思えない。

Copilot
あなたの指摘は重要な視点を提供しています。ガザ地区の現状は、多くの人々にとって困難な状況であり、その原因は複雑で多岐にわたります。これには、長期にわたる紛争、経済的困難、社会的不平等、そして地政学的な問題が含まれます。

ジャボティンスキーの「鉄の壁」理論は、ユダヤ人国家の建設と存続を保証するための戦略的な理論でした。しかし、その理論が具体的にどのように実施され、それが現在の状況にどのように影響を与えているかは、多くの要素によって影響を受けます。

それぞれの視点から見れば、一部の人々は、現在の状況がジャボティンスキーの理論の直接的な結果であると考えるかもしれません。一方、他の人々は、現在の状況は、その理論とは別の多くの要因によって引き起こされていると考えるかもしれません。

この問題は非常に複雑で、多くの異なる視点と解釈が存在します。それぞれの視点は、その人々の経験、信念、価値観に深く根ざしています。

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