他人を知る、バイアスを知る、自分を知る Xデザイン学校校外研修・京都#1
京都でフィールドワークとKA法を体験をする全4回の講座。
その初回のリフレクション記事です。
他者を少しでもわかりたい
座学前半は、フィールドワークについて。
フィールドワークとは?という問いの答えは、確かに人によって違うのだろうけれど、講師の松薗さんが挙げた、
「他者を少しでもわかろうとする実践」
「身体と経験を通じて、自分がよく知らない世界を知る」
が、とても印象に残った。
「上司が理解してくれないので調査ができない」「スキルがないので正確な調査ができるか不安で踏み出せない」といったリサーチ初心者の悩みはよく聞く。
一方で、実践を重ねている人を見ると、そんなところで悩むよりも、①やりたいと思ったらできる範囲でまず動いている、②知りたいことに合わせ、柔軟に工夫して調べている、と感じる。
講義中に紹介された松薗さんの実践例でも、「なるほどその調べ方はうまいなあ」と驚いた発想がいくつかあった。
スキルや才能というよりも、「少しでもわかりたい」という欲求の差なのかもしれない。
強い欲求を持つ人は、他人にどうにかしてもらうことを待たずにやる。
欲求を叶えるために知恵を絞る。
相手を理解することで、自分を問う
文化人類学の面白さについて。
「知らなかった時の自分に戻れない。自分も変わっていく。他者を問うことは、自分を問うこと」
という部分もよかった。
現場に行くという1点では報道もフィールドワークだが、「知ること」よりも「伝えること」に大きく傾いたものの見方だ。
(だから違う仕事、違う領域なのだが)
さらに私の場合、思い返すと「私はこう言いたい」という欲求が大きかった気がする。
他者を知り、「世の中にはこんな人がいるんだ!面白いなあ!」とワクワクしながらも、視点の重心がずっと「私」に残っていた。
講座後のQAで、松薗さんがほろっともらした
「視点とバイアスの境目は難しい。その人の視点だからできる分析がある」
これは、記事に置き換えるとよくわかる。
「原田さんならではの記事」とよく褒められた。
でも多分、同じかそれ以上、私だから見逃したこと、見えていなかったこともあったんだろうな。
4年前に社内の配置転換で記者ではなくなった時、今までとは全く違う職能の人たちと全く違う仕事をすることが、とても楽しかった。
違う職能だと、こんなにものの見え方が変わるのか、私はなぜあんなに自分が書きたいことにこだわっていたのかと、人ごとのように過去の自分を眺めた。
もう記者しか知らなかった頃には戻れないし、その変化が嬉しかった。
今後もしまた記者に戻ったら、きっと全然違う取材をし違う記事を書くだろう。
河岸を変えて見ることは、確かに今までいた場所を問い直す行為だ。
京都フィールドワークの注意点で、「事前にバリバリに仮説を立てて、その検証のためにフィールドワークをしない方がいい」と言われたが、確かにそれは、眼前の相手(世界)を理解することを妨げる。
ひいては、私のアップデートを妨げる。
リフレーミング
具体エピソードを抽象化し、一見関係がないものとの共通点を見出して、意味を括り直す。
ベーシックコースで何十回と聞いた「概念化」を思い出した。
先月受けたfigma講座の「光速デモ」でも、「似た構図で成功しているサービス例」からアイデアを考える、というくだりがあった。
近くと遠く
デジャヴとヴジャデ
こう視点の例を整理されるとわかりやすい。
バイアスに自覚的になる
前半のフィールドワーク座学で出てきた言葉だけれど、後半のKA法練習で、「確かにね!」と実感した。
事前に割り当てられたインタビュー記録を読んだ時、脳内に人物像ができた。
「きっとこの人は、刺激や変化を重視する人で、移動に時間をかけたくない人で」と、怖いくらい、わかった気になった。
でも、他のメンバーのカードを読むと、同じテキスト部分から、全然違う価値を書き出している。誰一人合わない。
冒頭で「グループワークを通じて、他人の視点から学びを深める」と言われたが、こんなに綺麗に違うのかと。
チューターの大草さんの言葉がまた、目から鱗だった。
「自分がバイアスを持っている部分をあらかじめ考えておくと、みんなでワークをする時にメンバーとどの部分から話していくかという優先順位になる」
「私はこういうバイアスがあるに違いない」と思いながら読むっていうこと自体、もう視点が違った。わからないからバイアスだと思っていたので。
でも確かに思い当たる。
今回でいえば、「きっとこの人は」と、わかった気になったところほど、自分の中にあるものから持ってきて、勝手に言葉を補い、過剰に反応した可能性がある。
バイアスを自覚し、持ち寄って、他人との対話で確かめる。
全員「バイアスです」という前提で話すって、楽しいな。
それぞれのバイアスを、それぞれが正解だと思い込んで対立する、殺伐ばかり見てきたし、自分も結構な頻度でやっている。
まだ2週間後の京都フィールドワークで何をするか、ノープラン。
今日の新鮮な驚きをもとに、あれこれ考えたい。
で、そのバイアスを、確かめたい。
ある記憶
完全なる余談なので、最後に。
エスノグラフィの説明部分で、ある取材を思い出した。
東日本大震災の直後、「被災地の子どもは、今どう暮らしているのか」を書くミッションを与えられ、岩手県のある街に入った。
入ったはいいが、名前と年齢以外、ほぼ何も聞けなかった。
壮絶な体験をした人に、よりによって子どもに、記事にするという自己目的を優先して、質問を投げることができなかった。
自分から傷ついた体験を話す子どもはいない。
その結果、現地の子どもたちにとって「なぜか毎日来て遊んでくれる人」として、私は存在していた。
数週間経ったある日、いつものように私にまとわりついていた当時9歳の女の子2人が、急に「散歩をする」と言い出した。
そして、壊滅した街を指差しながら、震災当日の話をし始めた。
その後はまた、何も話さなくなった。
その一部始終を親御さん話し、了解を得て、記事にした。
長く報道記者をやったが、何も質問せずに、目の前で見たことだけで記事を書いたのは、この時だけだ。
エスノグラフィとは目的も考え方も手法も、何もかも違うエピソード。
だけど、あの時の、ほぼ地元人として過ごした空気や、でも自分だけは異質であるという脳の冴えた部分、意図せず眼前で起きたことに意味が与えられた瞬間に、エスノグラフィとのわずかな交差を感じた。
以上、今日のリフレクション。
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