10年前の私が救われた4日間 Xデザイン学校校外研修・京都#4

京都のフィールドワークとKA法講座、全4日の4日目のリフレクションです。

普通の人を取材できない

報道記者は、普通の人を取材するのが苦手だ。

例えば「若者」でメディアに登場するのは、渋谷のJKか、意識が高い起業家か、学生団体か。
人口割合からしたら1%もいるかどうかという人たち。

そうなる理由は二つある。

⑴その方がウケるから
⑵人脈がなくても捕まえやすいから

つまりは手間暇かけずに、そこそこウケるコンテンツが作れる。

私は教育・若者ジャンルを担当していた時、メディアが「普通の若者」を取り上げないことが不満だった。
極端な若者を取り上げて「今時の子は〜」と論じる不毛。
絶対にメディアに出ないような若者から、社会の姿を見ようと悪戦苦闘した。

同僚に「原田さんは普通の子をよく見つけてくるよね。どうやってるの?」とよく聞かれた。
でも当時の私は、人脈以外の手段を持っていなかった。

普通の子の近くにいるであろう大人たちに、
「ノーレート麻雀教室にコミュ障な男の子が不思議と集まっている」
とか聞いて、訪ねていく。

メディアには出ないかもしれないが、社会性がどれだけあるのか、いつも不安だった。
たまたま私が知った範囲だけの話かもしれない。
極端な若者を取り上げているのは、結局私も同じかもしれない。
内心ビクビクしていた。

と、冒頭から壮大な昔話をしてしまった。

というのも、
「今日の授業を、10年前の私に教えてあげたかった!」
と、叫びたくなったからだ。

パターンを見つける

「エクストリームな生活者に聞いてはいけない。何百人、何千人といそうな人に聞く」
「リサーチは楽しいけれど、変な人を見つけるのがお仕事ではない」
冒頭の浅野先生の言葉。

メディアの人間じゃなくても、いきなり野に放たれるとそうなるんだなあと、変なところで感心した。
だいたい「知っていそうな人」に聞く。
または「目立つ人に聞く」。

やりたくてそうしているのではなくて、他にどうしたらいいのかわからないのだ。
体当たりで声をかけまくっても、心が折れるか、通報されるか。
何よりコスパが最悪だ。

じっくり観察する。
パターンを見つける。
待っていれば、また同じ行動をとる。
「なんでそうしているの?」と聞く。
で、その観察の視座、場所を探すのに、デスクリサーチや他のデータが必要と。

すごくシンプルで、すごく説得力がある。

10年前の私は、「知っていそうな人」との人間関係を太らせただけ。
パターンを自分で見つけたこともあったと思うが、もっとできたなあ。
できていたら、あの不安は少しは減っただろうなあ。

「珍しい、あんなの他にないよねって写真を撮ったら、それはただの観光写真」
浅野先生の言葉が重い。

ニュースでは、一瞬を逃すと二度と撮れない写真がたくさんあった。
何を撮るべきかがわかった上で撮る。
そんな撮影もあるなんて、目から鱗だ。

つい昨日、写真の撮り方を振り返ったnoteを書いたけれど、「リサーチの写真」は、自分のバイアスとか、ものの見方とか、気づきが多い。多すぎる。
嬉しいな。カメラ買うかな。

潜る力が足りなかった

ペルソナを作る時、チューターのべぢまきさんがいなかったら、また迷走するところだった。

調査データからコンテクスト、ゴール、プレファランスに何を書くか。
ベーシックコースでもやったが、まだ全然うまくできない。
何回も「それぞれ何を書くんだっけ?」で迷子になりかけた。

一番難しいのが、やはりプレファランス。
というか、洞察できていないから書けない。

ワークをやりながら気づいたのだが、言語化されていないあるあるを探すと言いながら、すでに見えているものをいじってしまう。整理して名前をつけただけというか。

暗黙の価値を見つけるには、例えるなら潜る作業が必要なのだろう。

「馴染みの店のなじみってどういう意味?」
「同じ『行きつけの店に行く』でも、通う目的や価値は同じ?」
「交流したいのはなぜ?」

べぢまきさんが問いかけてくれたところは、雑な言葉でわかった気になっているものが多かった。

昔、先輩記者から「記者なら『変化した』って書くな。ちゃんと取材して『AがBになった』って書け」と言われた。

同じだなあ。
大きすぎる言葉やテンプレの言葉で、わかった気になるのが一番危ない。

聞く時から、それはなんだ?と敏感に反応して、掘り下げないといけないんだな。
確かにその辺りは、複数人で聞くと、緊張が緩むかも。

あと、コンテクストとゴールも、よく違いがわからなくなるのだけれど、その場で「べぢまきさん、わかりません!」と聞きながらできたのは本当にありがたかった。

人の闇を見せてくれないと

面白い漫画を描く人は、えげつないキャラの解像度がすごい。
そして、いきいきとした鬼畜キャラは、傷付けられる普通の人間がいることで対比がきわ立つ。
昔は何気なく読んでいたが、この両方の気持ちを理解した上で、そのどちらでもない人間が、描いている漫画家本人なわけで。恐ろしい洞察力だと思う。

以前、有名漫画家と編集者の対談記事を読んだとき、
「漫画家は人間に対する洞察が化け物、編集者は物語に対する洞察が化け物」だと思った。

人間が複雑怪奇なモンスターであることは、自分でよくわかっているのに、どうして常人が他人を描くと、つるんとしたものになるのだろう。

ペルソナのレビューで浅野先生が「人の闇を見せてくれないと。左京区の人間ってただ自由を謳歌している能天気な人なの?」と言ったのが猛烈にツボだった。

他人の話は、自分の中でうっかり辻褄が合うと、そこで満足してしまう。
でも、すぐ見てわかるところに、人間の本当のところは、現れない。

デスクリサーチで何をしたらよかったのか

まだまだ絶賛考えている。

浅野先生が「不動産情報を見るといいですよ」とおっしゃったのだが、なぜかを考えずにただ見ても意味がない。
多分、人とお金の流れが現れる場所として、一番手っ取り早いんだろうな。

人とお金が、どこからどうきて、どう変わっているのか。
それが出ていそうなところから見る。

今日、古地図比較アプリをいくつか入れてみた。
だいたいどこの街にも郷土資料館はあるので、その辺も今度チェックしてみよう。

住む前提で街を見る

授業後雑談名言シリーズ。
「住むつもりで考える」

確かに自分ごとだから、あれこれ調べる。
2日前、「事前に何を調べたらいいかよくわからんから、失敗して学ぶかー」とnoteに書いた自分は、わかりやすいほどの他人事だ。

そして、確かに他人事で考えることで、必要のないサービスを量産する。
興味がないこと、愛せないことを仕事にしている人が多いということなのだろうな。

真実がわかれば、それでいい

授業後雑談名言シリーズ。
「日本人はべき論が多い。調査はこうあるべきとか。その時その時で真実がわかれば、それでいい」

手段と目的の倒錯は、これまたあるあるだなあ。

「だって、真実を見つけたいんだろう?」
もうこの真っ直ぐな問いかけに尽きる。

目先のものに惑わされる暮らしをしていると、余計に染みる。
(あなたの本業ってそもそも・・とは聞かないでください)

今回の講座は、チューター・チームメンバーの皆さんが本当に優秀で楽しくて。
皆さんを知ることができたのも、お値段のうちだったかしらというくらい。
良い時間を過ごさせてもらった。

一人で感覚を研ぎ澄ますことはこれから頑張るけれど、素人全開の今回は、一緒に学べてよかったことが多かった。
まだ全然終わった気がしない。

私の中で今年の流行語大賞が決定している「概念化」も、まだまだ全然だし。
引き続き、真実を少しでも見つけるために。
一歩ずつ、山を登っていこう。

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