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りぼーん 第14話

60歳を半年後に迎える田中が、その先を考えて選んだ仕事を縦糸に、
田中の父との日々や、コロナ禍で生きる市井の人々を横糸にした話。

前回まで
コロナ禍の人々④

目次
・コロナ禍の人々⑤

コロナ禍の人々⑤

・4月のある晩、田中は善福寺川に面した閑静な住宅街に、無線で呼ばれた。一人の男性から見送られて、安田は車に乗り込んだ。

安田「河田町まで、明治女子医大知ってますか?」

田中「はい、存じ上げております。逆向きですので、車の方向を替えます」

安田「いや、気にしないでいいです。このまま、この先で曲がってくれたらいい」

田中「畏まりました、それでは出発します」

暫くすると、安田はスマホで番組を見始めた、少しボリュームが高かったことを気にしたのか、音量を下げた。

特に何かを見ているわけではなく、一通り閲覧している様子であった。

車が中野坂上に差し掛かったころ、電話の着信があり、少し話をして切った。

安田「・・・、運転手さん、コンビニがあったら停まってください」

田中「畏まりました、この先にセブンイレブンがございますので、そちらで宜しいでしょうか」

安田「いいですよ、チョット待っていて下さい。行っちゃだめですよ」

田中「わかりました、・・・こちらでお待ちしています」

車は女子医大通りに入り、間もなく大きなマンションの車寄せに入った。

安田は支払いをクレジットカードで済ませると、財布から1,000円札を抜き取り、

安田「ちゃんと食事をして下さいね」

田中「(少し驚きながらも)…、ありがとうございます、それでは遠慮なく」

田中は、必要最低限の会話しかしていない、安田が何に刺さったのかは、分からなかった。

翌朝、田中は会社に帰る途上、安田のことを考えた。

日に日にコロナの影響が深刻に出始めている中で、普段通りに仕事をしている田中たちへの、応援であったような気がした・・・。

全国に緊急事態宣言が発令された(5月6日まで)


・4月下旬の早朝、田中は無線が鳴り羽田空港近くの国道で待機をしていた。しばらくすると、大きなスーツケース2個と、ソフトバッグを抱えた若い女性が、田中の方に向かってきたのが見えた。

美沙紀「お待たせして、すみません。待合せ場所を間違えてしまいました…(笑)」

田中「いえ、大丈夫です。お荷物は3個ですね、
お預かりします」、

「羽田空港の第1ターミナルですね、それでは出発します」

美沙紀「よろしくお願いします。
(尋ねるともなく語り始めた)…オーストラリアから帰ってきたのですが、コロナで2週間隔離されておりました。
今日、ようやく九州に帰ることができます」

田中「それは大変でした。
差し障りが無ければ、状況を教えて頂けますか❓
ホテルで隔離と聞いておりますが…」

美沙紀「私は普通のマンションでした、
出入りはまったく自由です。
東京見物でもしようと想ったくらいです、私は東京知らないので(笑)」

田中「そうなんですか、監視する人とか居ないのですか❓」

美沙紀「ハイ、いませんでした。
まったく自由でした」

田中「そうなんですか…、で、九州はどちら❓」

美沙紀「大学は熊本で、実家は大分です」

田中「それはうらやましい、両方とも美味しい物が沢山(笑)。お父さんやお母さんが、
さぞや首を長くしてお待ちしているのでしょう」

美沙紀「でもすぐには大分に戻れないんです、大学に行っていろいろと残処理をしなくては」

田中「留学のですか、…何回生ですか❓」

美沙紀「4回生です、1年の予定が2ヵ月で終わったものですから」

田中「それは残念でした、でも考えようによってはよかったかもしれないですね。
コロナでいろいろと状況が変化していますから、
就職活動も影響を受けますね…」

美沙紀「そうなんです、どうなるかとても心配です」

田中「…大丈夫だと思います、根本的に日本は若い人材が不足しているのですから」

車はターミナルの出発口に到着した。

田中「荷物が多いし重いので、カートを借りた方が良いですね」

カート置き場に向かおうとした田中を制して、

美沙紀「私が行きます」

田中「それでは荷物を降して置きますね」

ところが、直ぐに来ないので振り返ると、ハンドルを引っ張っているが動かないカートに悪戦苦闘している、美沙紀が見えた。

田中「このバーを下げないと、動きません(笑)」

美沙紀「そうなんですね、使ったことがなくて(笑)」

田中「ありがとうございました、あと少しですが
お気をつけて」

美沙紀「いろいろありがとうございました」

と言ってカートを押していこうとしたが、また動かない。

美沙紀「また、やっちゃいました(笑)」

田中は微笑みながら、後姿の小さな背中を眺めていた。

道路沿いの花水木やツツジの花が咲き出した、一斉に植樹しているからなのか、東京はどこも同じような花ばかりだ。

プラタナスや銀杏などかつての主役はお役御免とばかりに、次々と変わっている印象だ。
落葉の処理やコストが、掛かるからであろうか。

細い幹の花水木などを見ると田中は痛々しく感じるとともに、軽佻浮薄な都市行政を思わざるを得ない。


年内の投稿は本話で終了致します、お付き合いをいただきましてありがとうございました。

明年、また再開をいたしますので、よろしくお願い致します。
                   野村蔵人











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