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デザイン雑談:アトリウムへの夢

 アトリウムとは、建物の中庭の吹き抜けに屋根がかけられた空間である。(上の写真は私の設計した橘学苑の中央ホールで、これもアトリウムと呼べると思いますが。)とくに都市の複合開発の中心の大きなアトリウムは、たんに建築的なレベルだけでなく、魅力的な都市空間を提供することで大きな意味をもつ。
 こうしたガラス空間は、19世紀、建築技術の発展により誕生した。代表例としての1851年ロンドン万博で建設され水晶宮は、その圧倒的なスケールと、同時に繊細な美しさを兼ね備えた空間として、今なおそれを凌駕するものはないと思われる。
 開発された鉄とガラスの架構は、都市の街路を覆うことによって、19世紀後半、アーケードとかガレリア、あるいはパッサージュと呼ばれる、多くの人が賑わう都市街路空間を誕生させた。
 余談だが、19世紀後半から20世紀初頭のこの時代(ヴィクトリア朝)の、装飾的な様式と鉄骨・ガラスの新技術が融合したあたりのスタイルとスケールは、実に豊饒な表情を建築と都市に与えていて、その美学を現在あらためて追求しているのが、いわゆるスチームパンクであろう。それは装飾性と機械技術との幸福な結婚として、実際には存在しなかったが、もうひとつのありえたかもしれない未来としてのユートピアだったのだ。20世紀に入ってからのモダニズムの都市と建築は、これに比べれば結局のところ、戦争と革命の時代の、ある意味貧相極まりない「非常時の建築運動」であったといえるのではないか。ひとことで「近代建築」といってもいろいろなのだ。

ミラノのガレリア(1867年)


パリのアーケード(パッサージュ)の大半は1822年以降の15年の間に成立した。

 こうしたパッサージュに注目し、魅了されて、都市と社会を論じるキーコンセプトとしようとしたのがヴォルター・ベンヤミン(1892-1940)であった。彼は「19世紀の社会史」のための膨大なメモを「パッサージュ論」として集積していた。メモの中にはパリの観光案内からの次のような引用がある。「産業興隆に起因する奢侈の、最近の産物であるパッサージュとは、その計画に賛同した人々の商店街全体をつらぬいて、大理石の舗道が走り、上にはガラス屋根の張られた通路である。上から照明を受けるこの通路の両側には、粋をきわめた商店が立ち並び、さながらこれはひとつの都市ではないか、いや、ひとつの小規模な世界ではないかとさえ思われるのである。」*1
 パッサージュを19世紀の最も重要な建築であると断言するベンヤミンは、資本主義時代にあらたに神話=物神崇拝をまとった「商品」の、夢の展示場としてだけでなく、さらにはそこに集団的無意識の発現する場所、すなわちユートピアに通じる仕掛けを見ていた。じじつパッサージュが、フーリエのユートピア・ファランステールの建築の基準であることも指摘している。じっさいにフーリエの影響をうけて建設されたファミリステールは、その共同住宅の中央におおきなアトリウムを持っている。
 パッサージュにしろアーケードにしろ、そうしたアトリウム空間の内部は、その建築的ルーツとも言える「温室」的なるものを胚胎していると言えるのではないか。温室とは自然の緑を閉じ込めて一種のミニチュアとして展示する装置である。ガラス屋根を架けることで街路は居間のように「室内化」し、アーケードによって都市は機能的に「建築化」する。つまりこうしたアトリウム的空間は、自然や都市を縮減した模型として認識させる仕掛けであり、そんな「世界模型」的な意味で、アトリウムはユートピア性を表出すると言えるのではないだろうか。
 ユートピアとは一種の自給自足した社会モデルを目指す。かつてアメリカの砂漠の中に巨大な温室ドームを作って、完全に閉鎖した牽強で地球の循環システムそのものを再現しようとした「バイオスフィア2」というプロジェクトがあった。そこまでいかなくても、アトリウムを中心とした都市の複合開発(MXD=mixed use development)は、単なるオフィスだけでなく、ホテルや住宅、商業などの生活機能を持ち、24時間の生活全体を実現しようという、つまり都市の中にもう一つの都市をミニチュアとして内包しようとする試みであり、ユートピア的なものを多少なりともはらんでいると言えるだろう。

某海外のMXDプロジェクトのアトリウム。トップライトの構造はもう少ししっかりと描き込みたかったが、あくまで初期段階のイメージとして表現した。

 このようなアーケードやパッサージュをふくむアトリウム的な空間に向けてのさまざまな想像を、コラージュとして表現してみた。*2 

それぞれのコラージュのネタをここに書いておこう。
1枚目のパネル:左から(上部空間 + 下部の組み合わせ)
①シーザー・ペリ:ナイアガラレインボーモール(1977年)+ チャールズ・ムーア:インディアナランディング(1982年)
②エバハード・ザイドラー:トロントイートンセンター(1979年)+ ロンドンの群衆図(19世紀・出典不明)
③ピラネージ:版画「幻想の牢獄」(1750年)+ ジョン・ポートマン:ハイアットリージェンシーサンフランシスコ(1974年)
④映画「来るべき世界(Things to Come)」(1936年)+ C.ムーア:インディアナランディング(1982年)
2枚目のパネル
オットー・ワーグナー:ウィーン中央郵便局(1912年)+ ピラネージ:版画「ローマの遺跡」(1756年)、奥のヤシの木はハンス・ホライン:ウィーン市旅行局インテリアの金属製のもの(1979年)

*1:ベンヤミン著作集6「パリ ー19世紀の首都」より(晶文社1975年)
*2:この文章のもとは、1992年季刊「ジャパン・ランドスケープ」21号に私が書いた「アトリウムあるいはユートピア的仕掛け」です。その雑誌に1991年から1993年まで「アメリカンランドスケープのパラダイム」全8回の連載をしていました。興味のある方はぜひ読んでみてください。


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