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デコちゃんの散髪



でこちゃんの散髪

”でこちゃん”は
俳優高峰秀子(本名松山秀子)の愛称です。
1924年(大正13年)誕生、2010年(平成22年)没。

1924年生まれは
吉行淳之介(作家)山崎豊子(作家)
京マチ子(俳優)越路吹雪(歌手)相田みつを(詩人)
力道山(プロレスラー)等

前回のつぶやきの資料として
記憶にある高峰秀子が
ご主人松山善三を散髪している
スナップ写真を探してみました。

今日の見出し画像の右側がそれで、
写真家秋山章太郎が撮影。
文庫本「わたしの渡世日記」下巻の
本文にあります。

左の赤いドレスも本人で
文庫本「わたしの渡世日記」上巻のカバー。
画家梅原龍三郎の筆になります。


高峰秀子の一生(俳優・エッセイスト)

大正13年(1924年)函館に生まれ
養女となり東京で5歳の時から映画の子役。
人気大女優になっていた26歳で
助監督松山善三と結婚。

私どもの年代によくしられた人気の映画は
「二十四の瞳」「名もなく貧しく美しく」
「喜びも悲しみも幾歳月」などがあり
55歳で銀幕を引退。

俳優時代から文章を書き始める。
昭和50年(1975年)
自伝「わたしの渡世日記」
日本エッセイクラブ賞を受賞。

平成21年(2009年)、元週刊文春の記者
斎藤明美を養女とする。

平成22年(2010年)86歳没。


エッセイスト・高峰秀子

二冊のエッセイ紹介

「わたしの渡世日記」
上下二巻の「文藝春秋」の文庫本(下の写真)
解説 沢木耕太郎
文藝春秋 文庫本 1998年3月10日 現在第16版

初出は「週刊朝日」
昭和50年11月21日号~昭和51年5月14日号
高峰秀子51歳執筆の自伝
朝日新聞社刊行 文庫本 1980年

カバー装画  2冊とも
画家 梅原龍三郎
文春文庫

映画子役時代から
結婚後20年程の”辿りし道”で
その尋常ならざる道のりに
圧倒されづづけました。

一家の生計を担うために
小学校も満足にいけない中でも
辞書をひき、文字を覚えていきます。
はじめは掛け算もおぼつかなかったそう。

彼女と養母との
複雑な家庭事情の中、
俳優の職業で出会った人々から学び
自らを成長させていきます。

とうとう夫に
「毅然とした雌ライオン」に変身した
と言わしめる、、、

読むのに体力が必要でした。




高峰秀子ベスト・エッセイ」
ちくま文庫
編者あとがき 斎藤明美(養女)
2022年10月10日発行

高峰秀子の随筆から出典
この文庫オリジナル。

カバー写真
写真家 木村伊兵衛
ちくま文庫

司馬遼太郎の訃報により
思い出を語る「菜の花」には
小説「菜の花の沖」誕生の秘話、
”両夫妻交流”塩梅の妙に感動。

「勲章」のメークアップマン(床山)の
小林重雄、重ちゃんへの哀悼には
鼻がツンとした。

裏表紙筆者紹介には 
「生きること死ぬこと愛することの本質を衝いた、
おそるべきエッセイを精選」とある。



高峰秀子生誕100年プロジェクト

2024年に生誕100年という事で
生誕100年記念行事
この秋から来年にかけてあります。

  プロジェクト実行委員会・会長  小豆島町長
  後援会 東宝 松竹 KADOKAWA
     日本映画製作者連盟 港区スポーツふれあい文化健康財団
  協賛 文藝春秋 筑摩書房 河出書房新社 キネマ旬報 TEG株式会社 

詳しい情報、写真など掲載したかったのですが
許可なしに転載を禁じられています。

”高峰秀子生誕100年プロジェクト”で検索はできます。

 ”キービジュアルーのポスター”
中央に”私たちは高峰秀子さんが好きです”のコピーと
和服で座布団の横端に両膝を折る本人(撮影秋山正太郎)、          そのまわりをぐるっと著名90人以上の名前。

おもな行事
代表的映画の上演
東京、大阪、香川、高知、鎌倉等

展示会  
東京三越、東京タワーRED TOKYO

写真展(予定)
東京都写真美術館?



「瓢箪から駒」

高峰秀子のスナップ写真探しで
この生誕100年の行事をしり
みなさんに紹介でき、嬉しいです。

俳優としては知っていましたが
エッセイストとしての
高峰秀子は鮮烈でした。

今回も
思いがけない出会いを
プレゼントしてくれた
noteありがとう!








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