ゲボ

わたしのことを愛しているけど持て余している人間は、どうやらわたしの秘め事を暴いてわたしのことを知ろうとするらしい。
どうしてわたしにきかないの?
わたしじゃ話にならないから。
じゃあ、仕方ないか。
だれがわるいの?

意味がわからないことが、たくさんあった。
なんで勃起して擦り付けてくるのにその先に行くことを拒絶されるのかはわからなかった。どうして、わたしが、泣いてるのに放置されるのかわからなかった。どうして、説明さえまともにしてくれないのか分からなかった。どうして、それで上手くいっていると思っているのかわからなかった。わたしが傷ついても一緒にいるのを辞めないことは、うまくいってることになるらしかった。わたしの涙は無かったことになっているらしかった。何で他の女の子にはいい顔をするのかわからなかった。どうしてわたしのことだけは傷つけてくるのかいつもわからなくて、甘えているんだと、おもった。

お互いが好きで一緒にいたはずなのに、触ると怒られることがわからなかった。毎回許可をとった。かなしかった。セックスに付き合えないから他の人としてきていいよと言われた。その後に、やっぱり嫌だから取り消すと言われた。言われたことでわたしが傷ついたことさえも、取り消せると思っているんだろうか。

たくさん、たくさん、本当にたくさん、澱みを抱えたままここまで来てしまった。わたしの悲しみはいつも無かったことにされるんだと、思ったまま。どうして、無かったことにするんだろう。人には見えないような、小さな悲しみを無数に、その刺々しい粒子の中を小さな傷をたくさん作りながら歩いていることを、誰なら分かってくれるんだろう。
もしみんな、わたしと同じ気持ちのまま息をしているのなら、みんな狂っていると、本当に思う。

わたしだけがどうして、と、思うほど、稀有な体験ではない。要素が絡み合い、その結び目が喉元にあって、ずっと苦しい。それだけのはなしだ。


欲しいものを与えられてこなかったと、思っている。どうでもいいものは、それなりに与えられて来た。きっと、どうでもいいものは、生きていくうえで必要なことは多かったと思うけど、それでもわたしが欲しかったものではなかった。寂しさを無防備に満たせる場所は、わたしにはずっと存在していなかった。1人で当たり前だったから、ずっと知らなかったけれど。

恋愛関係というものは、強い感情を引き起こすものだ。だからこそ、圧倒的な熱量で存在を求め合う。初めて、満たされた気がした。だから執着するのは、極めて自然な流れだった。それを邪魔されて取り乱すのもまた、自然だったと思う。
わたしが、「女」だから獲得することができた、やっと安心できる居場所。「女」でなければ、得られなかった。ならば、相手にとってわたしが「女」じゃなくなったら、無くなってしまうのかもしれない。

わたしと付き合う男は、みんなわたしのことが大好きだった。みんなわたし以外の女に興味がなくなると、わたしに言った。エロコンテンツさえ利用しなくなるとわたしに言っていた。わざわざ金を払って利用する意味がわからないと言っていた。ずっとみんなそうだった。わたしは、安心していた。わたしはずっと、彼らにとって「唯一の女」であるから、わたしの安寧は守られる。わたし以外抱かない、抱く気にもならない、そんな風な場所にいた。その代わり、わたしは一生懸命かわいくしていた。わたしが全力で喜んで、それによって喜ばせてられるように、楽しみ方は常に考えてきた。だから、わたしには常に「わたし以外と付き合ったってわたしのこと忘れられないよ」と、断言してきて、今もその自負がある。だって、わたしより必死に、喜ぶことで喜ばせようと思う女はそうそういない。演技なんて安っぽいもんではない。思考回路から見直すんだから。相当な女じゃない限り、その観点においてわたしが負けることはない。わたしよりいい女は、たくさんいるだろうけど。あなたが、あなたのまま、それに実感を伴った幸せを表明すること。それがどれほどの祝福になるか、わたしは知っていた。だからわたしのほんとうの武器はそれだと思ってきた。そうやって、いろんなものを保って来た。

だけど。
それには、わたしが「唯一無二」である必要があって。ほんのひと匙の、要素さえも、全てを揺るがしてしまう。

触ることすら怒られていた頃、わたしはあらゆるラブストーリーに触れることが出来なくなっていた。スーパーに買い物に行くと、夫婦やカップルが当たり前に存在していて、泣きながらカートを押していた。少女漫画はひとつも読めなくなった。ドラマや映画も、マトモに見れなくなった。涙腺も心臓も全くいうことをきかなくなっていた。正気でいられる時間も、保つために気を紛らわす手段も、どんどんなくなっていた。
それでもほんの少しだけ救いだったのは、彼は性欲そのものが薄かった。薄くなっていっていた。だからわたしは、疑わずに済んでいた。他の女という要素はずっと、存在していなかったから。

わたしを含め、多くの場合、恋人が他の人間とセックスをすることが嫌な大きな要因の中に、「自分ではない誰かの存在に対して強い興奮と快楽を覚えること」というのが、存在しているだろうと思う。わたしも例に漏れず、その1人であり、そしてきっと、その強い興奮や快楽、そして執着といいった欲望に対して、わたし自身がこだわっている。それが加害的であればあるほどに、わたしは強くこだわっている。その向ける力が能動的であればあるほどに、こだわっている。その力で、わたしは、愛されていると、解釈を拡大して、そうやって、いろんなことを、やり過ごしてきた。疑ってもいなかった。要素を分解するとそうなるからだ。だからこそ、そうであっては、ダメだった。
こんなことは初めてだから、気持ちをうまく切り離せない。架空の存在ではない女体に、興奮して射精することは、わたしの存在を揺るがしているなんて、そんな飛躍はどう考えてもおかしいのに。
それでも、そこにある行為は、わたしにとっては、程度の違いしかない同じ行為で、それなのに、程度の問題だけが重要のような気もして、わたしは、どうしていいのかわからなくて、わたしは、愛されたいのでは無く、求められることで心を満たしたいことを知ってしまう。求めてる気持ちが一瞥ほどでも他を向いてしまうことに、加害に慣れてるわたしは視界が揺れるほどの動揺をする。その加害的な欲求さえ、わたしに向いてないことに耐えられない。どうして、こんなことになってしまうんだ。
つよい、むじゅんがある。つじつまがあわないきがする。
こんなことで心を乱していては本当に生きていけないのに、解そうと要素を分解していけばいくほど心が悲鳴をあげている。どんどんひしゃげて形がおかしくなっていく。もう壊れているのかもしれない。ずっとまえから。わたしの感覚はもうダメになっていたのかもしれない。
手が震える。言葉にするのは止めないけれど。

明確な自覚を伴う。言葉は。常に。

こだわるのを辞めてしまえばいいのは分かってる。強制解除のやり方もわかってる。でもそれは根本的な解決にならない。わたしは、ずっともう、15年以上も、この感情に侵されてここまで来てる。何も見てないのに無駄な想像力は映像を作り上げる。存在しない記憶はフラッシュバックする。何も起きていないのに、わたしはずっと地獄にいる。わたし自身を原因として。

どうしてこんなことになるんだろう。どうしてこんなに辛いのが終わらないんだろう。どうしてこんなに許せないんだろう。わたしは、本当は何が悲しいんだろう。彼が、わたしの核心に触れようとするのに、何も見えてないことが、そんなに気に入らないのか。期待しない方が楽なんて、当たり前すぎるのに。

時間が解決するんだろうか。いつまでこんな無駄な感情を持て余していくんだろう。恥ずかしい。何ひとつ正当性がない。消化しきれていないだけだろう。早く、どうでもいいと思えたらいいのに。誰も何も悪くないのにわたしだけが1人で追い詰められていく、独りよがりで、誰にも救いようのない。

きっとこれらはシンプルなはなしで、わたしはまだ、人間1人を尊重して一緒に過ごすことは、出来ないような、そんな程度の人間なんだと、ただそれだけのはなしで。

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