味のなくならないガム

許せないことが、きっとたくさんある。

許せないことを、許せないまま生きて行くのは大変だから、許せないことから目を逸らす。
でも、許せないことは、許すことも出来ないし、忘れていけるほど風化だってしない。

だから、目を逸らすことしか出来なくて、その瞬間ごとにわたしの頭を支配する多幸感に身を委ねるように、縋るように、そうやっていた。

見事に、わたしの感受性は退屈を知らないものになった。楽しむ努力を息をするためにやってきた。それは、許せないことさえも、わたしの娯楽に変えてゆく。

頭が焼き切れそうになるような、いつまでも鮮烈さが残る、残している、そんな記憶がある。鮮やかに保存している。牛のように反芻する。
味が無くならないそのガムを、わたしは歯がなくなっても舌で転がすだろう。

いつかのことを考えるけれど、わたしはいつかのことをきっとそれほど望んでいない。結果として、いつかがあったとしてもいつかのことは、さほど重要じゃないから。

全てをやり過ごして生きていけるような健全さは無いんだと思い知る。わたしは刺激ジャンキーだ。お気に入りのズリネタでいつまでシコれるか、チャレンジしようか。

わたしの輪郭はそこにあるのかもしれない。

わたしをわたしたらしめる、所以の全ては軌跡にある。わたしの轍をいつまでも保存していられたら、と祈り伸ばす腕を手折れる日がくれば、虚無の先で幸せになれるのかもしれない。

遠くにある情景を手繰り寄せるような、祈りと恨みと呪いと愛情がずっとここにある。ひとつひとつ、数えて、紐解いて、見えなかったものに気付けたら。

愛されていたと思うこと。
わたしを、愛しているなら取らないはずの行動。それらの、関係。仕組み。これから逃げないことを、どれだけの人間が出来るんだろう。
ただ、恨むだけなら、消費していくだけなら、簡単で、いいよな。目を背けた先には、もう虚像しかないのに。

浸れるだけ浸れば、いつか出たくなる。湯船がいくら心地よくても、お湯に浸かりつづける体は悲鳴を上げ始めるのだから。

みんなわたしのことがほんとうはきらいなのかもしれない。
そんな思いがずっとわたしに巣食っている。
見えないものには不安が募る。
その不安を打ち消すものはいつだって決まっている。
「そんな無駄なことをするわけない」
「疑ってかかるほど彼らの全ては安くない」
「表明されたものを、もらったものを、ゴミと判断するのはわたしが許さない」

愛しているということは、そういうことだって、いまは信じている。愛しているから、貰ったものが大切だから、それを汚させない。誰にも、いまのわたしにも、許さない。

全ての煌めきはわたしの中にあるから嘘にならない。怒りと恨みの先にあるもの。それを辿り続けることが、それだけがわたしの救い。何もかもがクソに見えても、世界のことが嫌いでも。優しくされたことをまだ覚えてる。


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