子どもに戻りたいとは思わない話

「はやくおとなになりたいんだ」
「もいちどこどもにもどってみたい」
これは、テレビアニメ『ポケットモンスター』の3代目EDテーマ『ポケットにファンタジーを』の歌詞の一節だ。今から20年以上前の曲になる。
「大人になりたい子ども」と「子どもに戻りたいと大人」の掛け合いを優しいメロディーで包み込む歌で、現在でもネット上では「神曲」扱いをされている。

このED曲をリアルタイムで聴いていた当時の私はまだ小学校に入る前で、「はやくおとなになりたいんだ」という歌詞にはよく共感していた。年齢を重ねて大人になればできることが多くなる、そういう憧れを幼少期の私もまた持っていた。
そして年齢を重ねて大人となり、社会的な責任を負い、さらには老化による衰えを感じてくると自由で未来のあった子どもの頃に戻りたくなる。
子どもは大人に憧れ、大人はかつての子どもの頃に戻りたくなる。そういう心境は時代を経ても変わらないのだろう。

さて、子どもの頃に戻りたいという願望なのだが、
いつからか私は子どもの頃に戻りたいとは思わなくなった。
別に子どもの頃が特別恵まれなかったわけではない。少なくとも児相に行くほどの境遇ではなかった。とはいえ、自由と言えばそうでもなく小学校高学年の頃から中学受験をはじめており、その頃から受験戦争の波には飲まれていた。もちろんゲームしたり友人と遊んだりいわゆる楽しい思い出はあった。人によって割合の差は大いにあるものの、楽しいことも辛いことも存在するのが人生というものだ。大人が子どもの頃に戻りたいと思うのは、詰まるところ記憶が美化されていることによるものが大きい。

さらに言えば、大人が子どもの頃に戻りたいと思う時、多くの場合はそれまでの知識や経験・記憶を保存した状態で子どもの頃に戻ることを望んでいる。子どもの頃に戻って大人と同じ知識や経験・記憶があればこの先の人生は有利に進められることだろう。ゲームで言う「強くてニューゲーム」のようなものだ。かつて苦労したことを難なくこなせてマウントをとれるのだから楽しいに決まっている。
実際に経験した子ども時代というものは、知識や経験が圧倒的に不足している。だから未来のことは見えなくて不安になる。身体的・知能的に生きる能力も不十分で経済力もなく、大人に頼らなくてはいけない場面も多くある。そして考えや行動が制約されていく。子どもとは概して不自由なのである。法律的にも親権がある以上、大人ほどの自由は得られない。行きたいところに行けて、買いたいものを買える、そういうことができる子どもは限られている。

私は子どもは好きだが、子どもたちを見て羨ましいとか気楽そうだとか思うことはない。昨今は厄災続きで大変な時代に生まれてきてしまったなと気の毒に感じることの方が多い。そして何より、子どもは酒を飲めない。私は大人を謳歌していきたい。

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