知らない幸せ、考えすぎない幸せ

私は宝くじは買ったことがない。買おうともしない。
まず宝くじで高額当選する確率は恐ろしいほど低い。
『セゾンのくらし大研究』というサイトのある記事(https://life.saisoncard.co.jp/money/wisemoney/post/c16/)によると、年末ジャンボ宝くじで一等(当選金額7億円)に当たる確率はおよそ2000万分の1である。これを他の事象と比較すると、交通事故に遭う確率の方が約588倍、飛行機墜落事故に遭う確率の方が約113倍、雷に打たれる確率の方が約28倍宝くじで一等当選する確率よりも高いのである。事故などの災厄が身に降りかかることを避けながら、それよりも低い確率で起きることを都合よく願うなんて失礼な話だが若干滑稽に思えてしまう。

宝くじは「大勢が金を出し合って少数の金持ちを作るシステム」簡潔だが実に本質をついた言葉で言い換えるあたりはさすが藤子・F・不二雄先生である。
宝くじで当たった大金は天から与えられたものではなく、宝くじを買うようなお金に困っている人から得たお金を集めてできたものなのだ。
その事実を知ってしまうと、たとえ類い稀な幸運で宝くじに高額当選したとしてもそのお金はもともとは宝くじに外れた人たちのものである以上心から喜ぶことはできない。結局は一番得するのはシステムを分かった上で宝くじを売り捌いている元締めの自治体なのだろう。最終的に元締めが利益を得るという点では、宝くじがギャンブルと言われてしまうのも致し方ない。

さて、それでも毎年宝くじで高額当選し、大金を得て人生が変わる人は一定数存在する。高額当選した人は外れた人間から集めたお金を自分のものにすることについてどう思うか。失礼な話だが、多くの場合は何も思わずに天からの授かり物だとして喜ぶのだろう。宝くじを買う人で高額当選額の出自を考える人などそうそういない。仮に出自を知っていたとしても、申し訳ない気持ちとかあまり考えない。そっちの方が楽だし幸せになれるからだ。「知らない方が幸せ」というのは言い過ぎではあるが、知らなかったり考えすぎない方が存外楽に過ごせて結果的に成功したり幸福を掴み取れるものではないかと思う。

私もこういうブログを書くぐらいには世の中に対して思うことがあったり、世の不条理さやままならない人生に対して憂鬱な気持ちになることがある。人にそのようなことを話す時は多くの場合「考えすぎない方が良い」という返答が返ってくる。割とありがちなやり取りではあるが確信はついていると思っている。考えてもどうにもならないことは仕方ないので行動に移した方が良いのは合理的だ。ただ、これを「思考停止」と捉えるのはやはり違うのだろう。「知らないから考えない」のと「知った上で考えない」のとでは根本的に性質が異なってくる。おそらくは後者の方が難易度が高い。時には情を切り捨てなければならない場面もある。尤も「知らないから考えない」人でも一定数成功を納めているのはまた一つの事実ではあると思う。

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