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原神で学ぶ和歌

 原神では稲妻のキャラクターが、そのボイスの中で和歌を口ずさむことがあります。丸々引用することもあれば、部分的にうたったり、あるいは和歌を元にした言い回しをしたり。

 今回登場する典拠は『万葉集』と『古今和歌集』で、誰もが知っている日本を代表する歌集ですね。普段ゲーム内で一番聞く機会が多いのは、楓原万葉の元素爆発ボイスでしょうか。ただその他にも色々散りばめられているので、今回は三人のキャラクターを取り上げ、それぞれのやまとうたを巡ってみましょう。

 目次は、詠んだキャラクターごとに並べることとします。各歌の全文は記事末尾に示した参考文献に依拠し、訳文は詠んだキャラクターの口調をある程度反映させています。また、今回まとめたものは出典があるものに限り、運営オリジナルのものは含みません。

神里綾華

この雪の 消残る時に

 皆さんは神里綾華の新スキン買いましたか?フォンテーヌの貴婦人がモチーフとのことで、いつか水の都を遊歩してみたいものですね。

 さて、彼女の雪の日のボイスを見てみると、このような歌を詠み始めます。

神里綾華・「雪の日…」ボイス

この雪の 消残けのこる時に いざかな
山橘やまたちばなの 実の照るも見む

 この歌は『万葉集』に収められている大伴家持おおともの やかもち作のもので、そのまま引用されています。

訳:この雪が消えず残っているうちに、一緒に行きましょう。山橘の実が輝いているのも見ましょう。

 雪の風情が消えてしまわないうちに、旅人と一緒に出かけて、景色を堪能したがっているようですね。「行かな」の「な」は、勧誘を表す昔の終助詞です。後半に出てくる山橘というのは、ヤブコウジという植物のことで、赤くて丸い実をつけます。

常磐なす かくしもがもと

 神里綾華を最後まで突破させると解放される「突破した感想・結」の冒頭で、彼女は以下のような歌を詠みます。

神里綾華・「突破した感想・結」ボイス

常磐ときわなす かくしもがもと 思へども
世の事なれば 留みかねつも

 この歌も『万葉集』に収められており、山上憶良やまのうえの おくら作です。

訳:(いつまでも変わらない)岩のように、そのようにありたいと思うのですが、(老いは)この世のことですので、命を留められないのですよ…。

 「かくしもがもと」は聞き慣れないですが、「かくしもがも」で一まとまりで、「そのようにありたい」という意味です。

 悠久なる岩石と対比する形で、命の儚さ、無常を嘆く歌です。彼女はこの歌を詠んだ後、「こんなに悲しい歌を思い出してしまいました」と言いつつ、その理由として「あなたと過ごす時間があまりにも心地よく、失うのが怖いと感じてしまったのです。」と続けています。人と楽しい時間を過ごしている時にふと、「いつかこれも終わるのかな」と思いをよぎらせることは往々にしてありますが、彼女はその不安からこの歌をつい詠んでしまったようです。

思ひつつ 寝ればや人の

 これは直接詠んだわけではないのですが、明らかに和歌を元にした言い回しをしているため、取り上げます。神里綾華の「おやすみ…」ボイスをご覧ください。

神里綾華・「おやすみ…」ボイス

夢と知っていれば目覚めぬものをと言っていますが、これは『古今和歌集』に収められている、小野小町おのの こまち作の以下の恋歌が元と思われます。

思ひつつ ればや人の 見えつらむ
夢と知りせば さめざらましを

訳:あの方のことを恋しく思いながら寝ましたので、夢に(その方が)見えたのでしょうか。夢と知っていれば、目を覚まさずにいましたのに。

 はてさて、一体誰を思いながら眠ったというのでしょう。

楓原万葉

雲隠れ 雁鳴く時

 楓原万葉といえば、冒頭でも述べたように元素爆発の台詞が有名ですね。一つずつ見ていきましょう。

楓原万葉・「元素爆発・1」ボイス

 出典は『万葉集』で、全文は以下です。

雲隠くもがくり かり鳴く時は 秋山の
黄葉もみち片待つ 時は過ぐれど

訳:雲に隠れて雁が鳴く時は、秋の紅葉があれば良いでござる。既に紅葉の時期は過ぎてしまったが。

 一つお気付きでしょうか。台詞では「雲隠れ」ですが、本来は「雲隠り」です。元の動詞「雲隠る」はラ行四段なので、連用形は「雲隠り」になるのですが、運営の誤写かどうかは不明です。元素爆発のこの台詞のみ、他の二つと違い三点リーダーが入っているため、何かしらの意図があったかもしれません。

 今回万葉が引用した部分には含まれていませんが、全文にはしっかり彼を象徴する「もみち(色付いた葉)」の語がありますね。ちなみに「もみち」は「もみぢ」の古い言い方で、後に登場する元素爆発の台詞でも「もみち」と読まれています。

風の共 雲の行くごと

楓原万葉・「元素爆発・2」ボイス

 出典は『万葉集』で、全文は以下です。

国遠み 思ひなびそ 風のむた
雲の行くごと ことは通はむ

訳:故郷が遠いからといって、物思いにふけてくれるな。風に吹かれて雲が流れるように、私の言葉はあなたのもとへ通いましょう。

 旅に出た男を思って詠んだ女の歌、と解されています。「むた」は「〜とともに」という意味の古語です。全体の歌意は万葉の設定的に合いませんので、解釈違いを避けるため文体は通常にしています。ここでは彼の元素である「風」に重点が置かれ、部分的に引用されたのだと思われます。

黄葉を 散らまく惜しみ

楓原万葉・「元素爆発・3」ボイス

 出典は『万葉集』で、全文は以下です。

黄葉もみちばを 散らまく惜しみ 手折たおり来て
今夜こよいかざしつ 何か思はむ

訳:黄葉が散ることが惜しい故、手で折って来て、今夜(頭に)かざしたでござる。もう何も心配することはあるまい。

 「散らまく」というのは聞き慣れない言い方ですが、これは奈良時代から見られるク語法と呼ばれるもので、活用語の未然形に「く」をつけて名詞化するというものです。

 「散らむ(推量の言い方:散るだろう)」のク語法が「散らまく」で「散るであろうこと」のような意味合いになります(訳では自然にしてあります)。ク語法は現在でも「思わく(思惑という字をよく当てる)」や「願わくは」なんて言い回しに残ってますね。

 そのあとの、「惜しみ」の「み」は原因・理由を表すので、「惜しいので」という意味になります。こちらはミ語法と呼ばれたりします。

 以上が三つの元素爆発のボイスになりますが、「黄葉もみち」「風」など、運営は彼のトレードマークを意識して和歌を選んでいることが分かりますね。

奥山に 紅葉踏み分け

 元素爆発以外にもまだあります。ボイス「シェアしたいこと・カエデ」を見てみましょう。

楓原万葉・「シェアしたいこと・カエデ」ボイス

奥山に もみぢふみわけ 鳴く鹿の
声聞くときぞ 秋は悲しき

 こちらも出典は『万葉集』…ではなく『古今和歌集』が乱入してまいりました。

訳:奥山に、もみじを踏み分け鳴く鹿の声を聞くときこそ、秋は悲しいもの。

 鹿が紅葉を踏み分けているということは、葉が既に散って、あるいは散り始めて、地面に秋の絨毯が広がっているということです。万葉が「カエデが紅に変わる時は、いつも別れが伴う。」というのは、錦秋を惜しんでいるのでしょうか。

春の野に 霞たなびき

 最後に、今はもう聞けないレアな和歌を紹介します。

春の野に かすみたなびき うら悲し
この夕かげに うぐいす鳴くも

訳:春の野原に霞がたなびいていて、拙者の心はもの悲しい。この夕暮れの光の中で、うぐいすが鳴いているでござる。

 出典は『万葉集』です。

 これは二回目の金リンゴ群島にて、それぞれの過去ツアーを行った時のものです。楓原家が没落していく過程で本人が詠んだもので、悲哀を表現したものになっています。

雷電将軍

寝るがうちに 見るをのみやは

 雷電将軍も実は和歌を詠んでいます。キャラクター実戦紹介動画「浄土裁断」の2:20〜を見てみましょう。

るがうちに 見るをのみやは 夢といはむ
はかなき世をも うつつとは見ず

訳:寝ているうちに見るもののみを、夢と言うのでしょうか。いえ、このはかない浮世も、現実とは思いません。

 出典は『古今和歌集』です。

 ところで、詞書ことばがきというものをご存知でしょうか。歌の本文の前に、その歌を詠んだ事情を書き記すものです。この歌の作者である壬生忠岑みぶの ただみねは、次のような詞書を残しています。

あひしれりける人の、身まかりにける時によめる

 つまり、親しかった人が亡くなった時に詠んだというのです。雷電将軍の境遇に重なることは言うまでもないでしょう。

 また、もう一つ注目しなければならないのが、上記の動画の概要欄の文章です。最後の紹介に参りましょう。

今年ばかりは 墨染に咲け

キャラクター実戦紹介動画「浄土裁断」概要欄

 「昔日の多情なる櫻も、今や墨染すみぞめに。」という一文。これを見逃してはいけません。同じく『古今和歌集』に以下の歌があります。

深草ふかくさの 野辺のべの桜し 心あらば
今年ばかりは 墨染に咲け

訳:深草の野辺にある桜よ、もしも心があるなら、今年だけは墨染に咲いてほしい。

 この歌は、作者である上野岑雄かんつけの みねをが、友人である藤原基経ふじわらの もとつねを亡くしたことで詠んだもので、もしも桜に心があるなら、今年だけは弔意を示して墨染(黒色)に咲いておくれ、という哀傷歌です。先程の一文は、これを踏まえての表現と見るべきでしょう。

 最初の歌と合わせて、親友を立て続けに失った雷電将軍の心境に重なるような歌が選ばれています。

おわりに

 以上、歌を詠んだ三人のキャラクターを取り上げました。それぞれの場面に合わせて、適切に歌が選ばれていたのが分かります。

 神里綾華は散策への勧めや恋歌など、相手を思う歌が目立ちます。楓原万葉は紅葉の風情を中心に情景を詠むものが多く、雷電将軍はいずれも自身の境遇に重なる哀傷の歌が引用されていました。

 これらは運営が日本を懸命に研究した成果の一つと言えますし、日本人なら是非おさえておきたいですね。

参考文献

中西進『万葉集(一)』,講談社,1978年
中西進『万葉集(二)』,講談社,1980年
中西進『万葉集(三)』,講談社,1981年
中西進『万葉集(四)』,講談社,1983年
高田祐彦『古今和歌集』,KADOKAWA,1983年
宮腰賢、桜井満、石井正己、小田勝 編『全訳古語辞典 第三版』,旺文社,2003年
近藤泰弘、月本雅幸、杉浦克己 編『日本語の歴史』,放送大学教育振興会,2005年

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