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おもいを一つにする水上温泉のお祭り

今年も“おいで”の季節がやってきた。

9月頭の週末に水上温泉メイン通りが舞台となって行われる

水上温泉おいで祭り


今年は
7日(土)18:00〜21:00|おいで踊りパレードほか
8日(日)15:00〜20:00|ビアガーデンほか
にて開催

水上温泉街が人でごった返す日

「おいでや、おいで。水上温泉〜♪」

このフレーズが頭をよぎるとわずかな体温の高まりを感じるのは筆者だけではないはず。

地元有志とボランティアによって構成される実行委員会が主催するこのお祭りはコロナ禍の3年をまたいで今年で15回目。2007年を起源とする。

意外にも最近のはじまりなんだなあと、史実を調べてみたところ
全然そんなことはなかった笑 

町が合併し、旧水上町が現みなかみ町となってから15回目ということ。

昭和31年〜平成9年まで町(旧水上町)の変遷が綴られた町報誌

この史料を遡ると「おいで祭り」の記述がはじめて登場するのは昭和49年(1974年)6月。 ※当時は7月下旬の開催であった

初年度はページの片隅に「企画進行中〜」とだけある


続いて、翌年昭和50年(1975年)6月の掲載。

二年目は写真も入って少しだけ大きくなった掲載スペース

昭和40年代といえば、東京五輪(昭和39年)を起点に景気が上昇したいわゆる「いざなぎ景気(日本が世界第二位の経済大国へ台頭)」が40年代中頃まで続き、その後は第二次オイルショックに端を発する世界的なインフレーションもあり日本経済は現在に続く低成長時代へと突入していく。
この頃“関東の奥座敷”とよばれ企業団体の来訪で隆盛を極めていた水上温泉にも不景気の風が吹き始める。

これを一気に吹き飛ばそう!と、当時の観光協会と町が主体となってはじめられたのが「水上温泉おいで祭り」の発祥だ。

狂乱麗舞(笑)な「おいで踊り」で祭りは最高潮を迎える

因みに、この”おいで”には、お客さま“おいで”と、温泉の“お湯がでる” の二つ意味がかけられている。

古くは中世室町時代の記録によると、温泉は「神の授けの泉」と位置づけられており豊年万作・健康成就の使者として人々に有り難がられていたことから、この温泉が現在の水上の地に湧き出たことで、当時の民は「お湯でた、お湯でた」と大変喜び、「お湯においで、お湯においで」とお客を招き入れたとされている。そうしたことで、水上の温泉は人や物が集まる社交場としての役割を持つようになり、そこへ更なる幸運を呼ぶ踊りとしてつくられたのが「おいで踊り」である…らしい。実に面白い!

「おいで踊り」の振り付け(水上笑会バージョン)

確かに、おいで踊りは下から上へ手招きするような振り付けが特徴で、これには温泉もっと湧き出よという意味があったのだ。


おいでやおいで〜とたくさんの観光客や地元の人を招き入れ親しまれた「おいで祭り」「おいで踊り」の練り歩きは、発祥から数年のうちに水上温泉夏の風物詩として地域に定着していく。

昭和53年、この頃には紙面の片隅からトップへ。「おいで祭り」五周年!と高々に
昭和61年、もはや一年を通じて最も大きな行事に
昭和62年、素晴らしいキャッチコピー
平成元年、時代が移り変わってもその熱は変わらず
平成6年、演歌歌手やタレントを呼ぶなどバブリーなエンタメ性を帯びていく

もう!みんなで踊るしかない


昭和62年開催時のキャッチフレーズであるが、その場の熱狂がリアルに伝わってくる秀逸なコピーライティング。おいで祭りを毎年の楽しみとする当時の人々の期待を伺い知ることができる。

昭和から平成にかけて「おいで祭り」は水上温泉を代表する夏のメインイベントとなった


しかし、諸行は無常なり。平成17年(2005年)の市町村合併により行政行事全般が見直された結果、旧水上町民の心の拠り所であった「おいで祭り」も一旦消滅。

不景気を吹っ飛ばせ!を合言葉に有志によって立ち上げられたお祭りも回数を経て規模が拡大され多くの集客を得られるようになったことで、経済的メリットが先立つ(厳しく言えば、水上温泉でなくてもよい)ステレオタイプなイベントになってしまっていた。都合三十数回続けてきたことでのマンネリ感もあっただろう。実際はそれだけでも凄いことなのだが。

当時のことをよく知る人は
「そりゃ、町の祭りがなくなることはさみしかったよ。でも、時代の流れや変化もあるし、惰性で続けるよりはあそこで一回断ち切れたことは今となってはよかった。」
と肯定する立場をとる。

その真意は、消滅から翌々年の平成19年(2007年)に”ないならつくろう、やりたいならやろう”の精神をもって復活に向けた活動が行われることにつながる。三十年越し二回目となる『おいで祭りの立ち上げ』は現在の実行委員会主要メンバーの方々によって。

何より素敵なことは、運営にかかる費用を行政や外部の力に頼らず、自分たちが汗をかいて協賛を募りまわり、タオルを手販売した収益を運営経費に充当している。まさに、手弁当でできることの火力を最大化させた自主運営のお祭りで、住民としてこれは本当に誇らしい。

「おいで祭り」を通じておもいが一つになる感覚


祭りは見るもんでなく参加するもんだ!という号令によって3年ぶりに復活した昨年の「おいで祭り」に筆者も飛び入りで参加させてもらった。コロナ前に地域神輿の担ぎ手をやったことはあったが、はじめて運営側から垣間見た景色は鳥肌が立つレベルに感動的であった。


昔のように人が溢れる水上温泉の姿を
今の子供たちにも見せてやろう。


立場や世代を超えて、祭りに携わる人すべてに通底するおもいの灯。
その光源は「水上温泉おいで祭り」が特別である所以であったりする。



「水上温泉おいで祭り」へ、ぜひおいで。【了】


▼昨年「おいで祭り」に参加してみたら


▼「協賛タオル」は会場でも販売しています。何枚でも購入可能。ご協賛のほど何卒よろしくお願い申し上げます。

Text by  Kengo Shibusawa(G E N R Y U)


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