自己紹介を書いてみる

愛読書はA.B.ビアース著の「悪魔の辞典」

多少暗いことも書くので、我慢して読んでほしい。

私の幼少期は、家庭が不和で怒鳴り声や喧嘩、暴言が絶えない家だった。

そんな家で育っているので学校での私の態度は粗野で問題児であったと思う。

いじめの対象になるのに時間はかからず、力で敵わないのを知ってか、陰湿な悪戯やシカトされる日々であった。

山村留学を勧められて転校した長野の小学校では体罰が横行、常態化しており、穏やかな学校からきた湘南人としてはカルチャーショックであった。

親兄弟から怒られる対象になることを極端に怖がる私は、体罰を避けることができていたが、ついにある日体罰をくらう羽目になってしまった。

私は教室内で吐しゃ物をまき散らし、生きた心地がしなかった。
冬休み以降、学校には行かれなくなった。

山村留学を終えて地元に戻り地元中学に入学、「○○の弟」として有名であったため、最初は順調であったかのように見えたが、学校という組織とシステムになじめず不登校になっていった。

学校の連中からは「不良」、不良の奴らからは「普通の子」として扱われていて、どっちつかずな中途半端な立場で過ごした。

中学卒業後は両親の海外移住の願望もあってか、単身でオーストラリアへ。

人生で初めて個室を与えられ、家族の団らんや留学生という特殊な立場であるものの、ここには自分の家族やいじめのことも知らない人しかおらず、テレビがある、ヤンキーがたむろしていない、飲酒タバコもない「人並み」の生活を味わえた。

留学してから3か月を過ぎた頃に、メールが届き、両親の離婚が知らされた。

中学校をまともに行っていないため、学力上の問題もあり、語学に1年、高校本課を3年と計4年間かかると思われた留学も、地頭がよかったせいか、語学を半年かけ、繰り上げ(飛び級)で高校2年の2期から本課をスタート、翌年に高校卒業試験に合格したため、計2年で留学を終えることができた。

日本に帰ってきてからは母と二人でアパートに暮らし、奨学金で大学へ。

資格を取ることを目標にすれば勉学にも力が入るし、なによりも勉強したくて大学に入ったので、取得できる資格は全て取った。

大学では付いた教授と不仲になり、指導を放棄される形となったので、当時パワハラ、アカハラの言葉がないため、セクシュアルハラスメント防止の訴えを利用し学校内で届け出を出したが、紙切れ一枚の報告書に「第三者委員会の調べにより、貴方の訴えは棄却されました」の一文のみ。

第三者委員会の構成も、調査内容もなく、また自分自身に面談も事情調査もしていないのに、調査したとは片腹痛い。

当然納得はいかないし、自分だけ半期分学費が発生するのであれば、損するのは私だけで、大学組織にも落胆したし、事務職員の皆さんは揃って個人的に謝罪をくれて、非公式に「調査をしていないと思う」旨を伝えられていたので、尚更である。

ここまでで、私の人間不信、人間嫌いのほどが分かると思う。正確に言えば「罪を憎んで人を憎まず」を実践してきたことで、私の社会に対する絶望や怒りが、私に文章を書かせ、また旅に逃避する原動力となっているのである。

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