自作を語る   設楽みいろ

 二日酔いかな、少し頭が痛い。ついつい昨日は飲み過ぎてしまった。アルコールのせいで少し感情が高まって寂しさをうったえながら泣いてしまったシーンを思い出す。うわ、恥ずかしい。
 相方はまだ寝室で高いびき、何時になったら起きてくるのか見当もつかない。もちろん、私にはのんびり待ってるつもりなどない。
 ダイニングは朝の光ですっかり充たされていて、窓際の陽だまりでは、黒猫のカオスがのんびりと毛繕いをしている。私の方を見やると軽く「ミア」と鳴いて、それからまた丁寧に不自由な左の後脚を舐め始める。その頭を軽く撫でて、私はキッチンへ向かう。彼のためのミルクを準備して振り返ると、いかにもタイミング良く、すっかり心得た感じでそばに来て、カオスは私の足下に身体をすり寄せる。ごろごろと喉を鳴らしていつもよりもご機嫌のようだ。
「どうぞ」
とミルクを与えて、私はその短くちぎれた左脚をさすってあげる。上手く座れずに投げ出されたように見えるその脚は、実は幸運のお守りのように私のお気に入りのものの一つなのだ。足首から先がないので、そこでつるんと丸くなっていて、私はその手触りを聖痕のものとして小さな感謝を持って慈しむ。生き延びるという奇跡が確かにそこに顕現しているのだから。
 それから私は、二人分のコーヒーを入れ、自分の分のトーストを用意する。すだちのジャムをたっぷりと塗り、そのさわやかな味を楽しむ。多分しばらくの間、気軽に食べることができなくなるだろうから。まあ、本当は納豆とかお漬け物とかそういうものの方が口にしづらくなるのだそうだけど、幸い私は日本的な味覚へのこだわりは特にないので、そういう食材へのホームシックを感じることはないだろう。
 まあ、いずれたった半年のことだ、宇宙ステーション曙光で生活するのは。何も今生の別れということでもないのだ、と自分に言い聞かせる。そもそもこれは中々経験できないようなチャンスなのだ。もっと喜べ自分、もっとテンション上げようぜ。涙の乾いた後がちょっとひきつってるけど。
 いよいよ始まる本格的な宇宙進出を目前に、企業連合の広報活動の一環としてステーションにゲストを招待するという企画がある。特に専門の訓練を受けてるわけでも知識があるわけでもない一般の人々に宇宙空間を体験してもらいたい、というわけで、その内の日本作家連盟の割り当て分がどういう偶然か私に回ってきたと、そういうことなのだ。いえいえ、私などよりもっと宇宙のお似合いの諸先輩方がとか、いやどうせならまだ若い感性の、これからまさに日本文学の曙となるような方に行ってもらいたいとか、とにかくかたくなに固辞したのだけれど、嵌められたというかのせられたというか、ま、何事も経験、怖くもあるのだけれど無重力とかちょっと楽しそうだよね? 多分星とかも今まで経験したことがないほどくっきり見えそうだし。よーし、行ってしまえ、さらば重力の軛よ!
 だから、次作は宇宙で書き上げることになります! なんたって6ヶ月滞在するようなので。とほほ、やっぱ長いなぁえっと、何を書こうかしら。一応今考えているのは、新型のウイルスが蔓延した時代のお話、パンデミックなんだけど、悲壮感はあんまりないの。確かに大勢の人間が命を落としていって、そういう個人レベルでは抱えられないような大きな悲しみがごろごろ頻発する。だけど、それを抑制しなければならないはずの政府とかの組織がが無能で恐ろしくポンコツでという、ちょっとパラレルワールド・ディストピアっぽいお話にしようかなって思ってます。
 まだ国家という単位が根強く残ってる世界。国ごとの格差が大きくて、たとえばワクチンの開発なんかもできるところとできないところがある。公衆衛生についての観念もまちまちだから、ウイルスが一気に広がる国もあれば奇跡的にそのまま落ち着いてる国もある。あ、多分まだオリンピックって感じのもやってるのよ、その世界。日本でやるってことにしとこうかしら、大友克洋のアキラみたいに。うん、まだ総理大臣とかいうのがあって、それがもう救いようのないほど無能なの。うーん、たとえば簡単な漢字が読めないくらいに駄目なの、小学生にも馬鹿にされるくらい。
 って、どうかな? リアリティがないってまた言われそう。ま、そういう作風なので仕方ないでしょ。
 それにしてもカオスに会えないのが辛いな、やっぱ。半年は長すぎるよー。すだちジャム、おいしいすぎるよー。
 おしまい。
        20210610

 あたしは今すごく怒ってる。
 お前だよ、お前。
 ちっちゃいものに対して理不尽な暴力を振るって快感を得ている、そこのお前だよ。もし街中でおまえを見つけたら、その場でアスファルトに引き倒し、ヒールだろうがワークブーツだろうが、とにかくその時の履物の最も凶器になりそうな部分で踏みつけて踏みにじって、真夏の正午の影のようにくっきりとそしてできるだけ小さく、大地のごく表層に封じ込めてしまいたい。たとえ死んでも成仏なんてさせない。ずっと苦しみ続ければいい。
 うん。
 日ごろ温和なあたしが、どうしてここまで憤っているかと言うと、それはまだつい最近、いつもの河川敷お散歩コースでの出来事から始まる。
 その日あたしはなんだか無茶苦茶煮詰まっちゃってて、良さげなお話も浮かばないわ、付き合ってる男とも何日も会えないわ、美味しいものもおしゃれも気持ちの少し遠くに行っちゃってるわで、なんだか朦朧とパジャマ代わりのぼろっちいジャージの姿のままでサイクリングコースを歩いていたの。お昼ちょっと前、やけに天気が良くって、それもなんだか腹立たしくって。
 ものすごい勢いで走り去る自転車の流れを横目に、とぼとぼとだらしないジャージ姿のあたしが歩いている。あ、足元はこれまたくたびれたサンダル履き。このまま川に身を任せていっそ海まで流されてしまおうかしら。
 そんな考えを軽くもてあそびながら、ぼんやりとしたまま土手を降りてキラキラとした川面を眺める。たまにちっちゃい魚っぽいのがぴしゃっとはねて、ああこんなあたしに関係なく世界はしっかり生きてるんだなあと、哀しくなっていた、その時。
 川べりの方の草むらからかすかに聞こえてくる弱々しい鳴き声。よく鮮魚コーナーで積まれているのを見かける白い発泡スチロールの箱が見え隠れしていた。なんだかざらりとしたアサリのお味噌汁を飲んだ後のような気分になって,あたしは恐るおそる近づいた。鳴き声は確かにその箱の中から聞こえてくる。小ぶりなノートパソコンくらいの大きさのそれは、深さだけが無慈悲なくらいで、多分小さきものが背を伸ばしてもそこには届かない、そういう絶妙な計算を感じさせた。蓋を取り、のぞき込む。嫌だったけれど、確かめるしかない。むっと立ち上った異臭、それはしみついた魚の臭いのせいなのかそれとももう命を失っとしまった子猫の身体が発する臭いなのか。
 三匹のまだ手のひらよりも小さな子猫の姿がそこにはあった。一匹は首が変な方向に曲がっていて、垂れ下がった舌が紫色にぬめっている。もう一匹は踏みつけられたのか、胸の部分が影絵のようにぺしゃんこで、お尻から腸のようなものが恥ずかしそうに少しはみ出していた。もう一匹の、多分一番小さいその猫だけがまだ生きていた。黒い毛並みは兄弟猫や自分の血潮でごわごわになって、首をもたげて小さい声で鳴くけれど、身体を動かそうとはしない。後ろ足が潰されているようで、はみ出した骨と肉が重たげに箱の底にこびりついている。いつ命の炎が立ち消えても不思議はない。
 あたしは土手を一気に駆け上った。その箱を抱えて、できるだけ揺らさないようにしながら。見晴らしの良いサイクリングロードを見渡し、でもそこでどちらに走り出せばいいのかが分からずに途方に暮れた。動物病院って、どこにあるの? 箱の中身はあまりに軽くて、そして刻一刻とさらに軽くなっていくような気がして、多分生まれて初めて、神様に叫んだ。神様、もうこれ以上、奪い去らないで。
「おーい」
 能天気な声が後ろから聞こえた。振り返ると二週間ぶりくらいに見る男が、あたしのママチャリを必死にこいでくるところだった。
「ごめんな、どうしても」
と言い訳を始める男を制して、あたしは言った。
「動物病院へ、早く」
 荷台にまたがり、箱をしっかりと抱え込んだ。もうこの中から何一つ、蒸発させはしない。自転車はあたしの経験した事の無い最大スピードで走り出した。
 そうして、方足の不自由な黒猫カオスが家族になった。
 閑話休題。
 そういうわけで今回のお話は、児童虐待の加害者をさんざんに嬲りつくすお話です。第一部では風俗店のお遍路なんて浮かれている主人公ですが、その世界が実はリビングデッドたちに蹂躙されてる世界だと気付く。喰われては目覚め喰われては目覚め、いつまでたってもその恐怖と苦痛が続く。
 ラスト、病室のベッドで昏睡状態にある年老いた主人公。それを見下ろしているのが被害者である実の子供。ホント、いやな話。
 ところでこの後、男があたしだけのものになると宣言した。そんな約束の言葉が欲しかったわけではないし、それで良かったのかどうかはまだ分からないと思っている。そもそも不倫から始まった関係、自分たちだけで勝手に幸せとか不幸とか簡単に線引きしてはいけないという覚悟はある。そう、その意味で私たちの関係はいまだに混沌としているのだ。
 おしまい。
               20160528

 この度は栄えある阿波鳴門の坩堝文学賞をいただきまして、感涙にむせぶというか、それよりまだちょっと信じられないような気分でいます。何であたしなんかがという思いですし、ホントにいいのかなというなんとなく後ろめたい気持ちなのです。
 この「どうして徳島を食べたのですか?」は、血のつながりのない赤の他人たちが寄り添って家族を演じているうちに、本当の家族になるような気持ちの交流を果たしていく、そんな物語を書くつもりだったのですが、主人公の宵闇が仕事で海外に行ったまま帰ってこれなくなる。その配偶者であるさとる、二人と血のつながらない子供、これはもしかすると人間ではなくアンドロイドかもしれないのですけど、ともかく9歳児のように見えるてんか、宵闇の義理の父親のOZの三人が残された家の中で家族を演じ続けるそのドタバタ、まあ、そんなお話です。中心人物が登場しないのでなかなか思うようにお話が進みませんでした。
 夫だからとか妻だからとか、親だからとら子供だからなんていう役割にすっかり依存しちゃって、半分自動的に、私たちは生きちゃってるんじゃないか、それって実はもったいないことなのではないか?、そう考えたのがこの小説の発端でした。いちいち真剣に考えて行動するのって、まあ、大変なことだとは思うのですけど、せめて自分の大切な人たちとは日常の煩雑さに流されることなく向き合いたいなと、そんな風に思っています。何気ない一言でも、それを伝えたかどうか、そんなことがずっとわだかまりになる。だったらその都度きちんと考えて喋ったほうがいいのではと、役割に甘えられない人たちがやっぱり相手に甘えちゃう、そんなお話です。
 この十年で私の周りの暮らしもずいぶん変わりました。先の東北の大震災も、あのまま原発を稼働させていたらどんな悲劇になっていたことかという話を聞きます。もしも、の話をしても詮無いことですが、放射能汚染とか故郷を追われる人々とか、そういう現実が起きなかったとは言えないわけです。
 宇宙開発、クリーンなエネルギーの開発確保、私の幼い頃に教科書に載っていた技術があっという間に過去のものとなり、
 国の成り立ちが緩やかになり、政府が変わり政治も変わり、私たちが考えるべきことがより確かな幸せについてになってきている、そんな実感があります。昨日より今日、今日よりも明日、私たちが手にすることのできる幸せが少しずつでも増えていきますように。
 なんてね。
 おしまい。
20110701
        ※ 初出は全て徳島日報

 

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