ゲノムの差異

暗黒。気配だけがある。
湿った音。咀嚼音。ビニル袋のカサカサいう音。
スポットライトが細く舞台中央を照らす。
山と積まれた食材、バゲット、ソーセージ、チーズの塊。色とりどりのスナック菓子のパッケージ、オレンジや紫色したペットボトルが乱立している。こちらには大皿に盛られた肉料理、あちらにはあらゆる季節を抱き締めたかのような艶やかな果物、焼き菓子でできた城塞の向こうに一際大きい山脈めいた影がある。だらしなく座り込み、手当たり次第に食べ物を掴んでは味わうことすらせずに、咀嚼し嚥下し、舌舐めずりし、時折満足そうにため息をついている。
あまりに肥え太っているために、性別も年齢も判然としない。薄暗い光の中ではその肌の質感もわからず、頭髪も体毛も見当たらないそのシルエットは、海底に佇む海獣が際限なく餌を食らっているかのように感じられる。静かな薄闇の中、湿った音だけが続く。
少し明るくなる。
がつがつと食らうその姿が前景に焦点を結び始める。醜く肥えた全裸の人間だ。全身にうっすらと汗をかき、ぬめぬめとした光沢がライトの下で滲んで見える。衣服を付けているようには見えないが、垂れ下がった脂肪の奥に小さな下着が隠されている可能性はある。
太いソーセージのような指が、真っ赤な小さなイチゴをつまみ上げる、それをしばらく見つめる顔に、ようやく人間らしい表情が窺えるようになる。恍惚として、その果実を口に入れる。そうして、噛みもせずに飲み込んでしまう。満足そうに口元を緩め、新たにもう一つつまみ上げるその爪先には、先程までは見えていなかったマニキュアの色が雪を割る草花のように逞しく現れている。毛髪も少し豊かになっている。艶々とした髪がその顔を覆い、肩にかかり、見る見るうちに伸びていき、肩を流れ腰を抱き、そうして食らうものはいつしか食らう女となっている。あぐらをかいていた女がすくっと立ち上がる。すらりと伸びた手足に強く張り出した腰、隠毛の陰りや柔らかく張る重たげな乳房が、スポットライトの下はっきりと浮かび上がる。
女はもはや、この世のものとも思えぬほど美しく正しい。軽く伸びをすると、ミルクの瓶を手に取り、滑らかな動きでそれを飲み干す。口元にこぼれるその白いすじが、何か生き物めいた真摯さで顎先から首元へと落ちていく。

昨日見た舞台のことを思い返していた。きれいな身体だった。何か仕掛けがあるのだろうけど、こうして思い出してため息の出るほどに完璧なそんな舞台だった。
レーンを流れてくる、うにょうにょ震えている豆大福のような物体に赤く焼けた針をひと刺しする。
ぷつり。
それは一度キュイと音を立てると、もう動かなくなる。目の前を通り過ぎるそれを見守りながら、足元の電熱器で針を熱していると、直に次の豆大福が流れてくるはず。そしたらまたそれをキュイと泣かせる。固く動かなくなるそれを見つめながら、そしてまた針を熱する、繰り返し繰り返し。
それが私の仕事だ。
この工場に仕事を得て、二番目の作業内容、もうどれくらい続けていることだろう、最初の頃にたまにあった刺し間違い、悪い場所に刺すとぱんと弾けて黒い煙になってしまう、そんな失敗はしなくなった。
多分次のレーンの担当がラップに包んで値札シールを貼って、そうしてその後、あちこちのコンビニに送られていくのだ。
そう言えば、でも、私は食べたことがないな、と思い返す。食べたいとも思わないけど。
ぷつり。
キュイ。
どこに行けば売っているのだろう?
そもそも本当に食べ物なのだろうか?
私はまた針を熱する。
繰り返し繰り返し、そうする。

そういう夢を見た。
わたしは工場で一日を過ごし、疲れた身体を巨大な劇場まで運び、細分化されたさまざまな舞台の出し物、音楽や演劇や落語とか血みどろの死闘とか、ランダムに招待されるそれらを毎日毎日味わって暮らしていた。劇場の中はどこも薄暗くて、おまけに塩っぱいような生臭いにおいがしていて、それが髪についてた脂じみた煙とくっついてピリピリとした痒みを引き起こす。
だからと言って、何気無く掻いたりしてはいけない。
頭皮がずるりと剥けてしまう。
きちんと自分の部屋に戻り、集煙器で細かく吸わなければならない。そのままほっとくと、煙は体内で反応し、肉体を煙化していく。
自分の機械でないと集めた煙を売却することができないのだ。
何故?

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