どうして徳島を食べたのですか?

 早朝だというのに、てんかは身支度も完璧で、小ざっぱりとした部屋着に寝癖などどこにもないさらさらヘアー、自分で用意したのであろうミルクティーをちびちび飲みながら、まるで正反対のだらしなさ、パジャマ代わりのよれよれのスウェットに記録的な強風に右から左へと吹き流されたかのような寝癖頭で、ぼーっとダイニングに入ってきた私に気付くと、
「おはようございます、ぱぱさんさん。コーヒー淹れてありますよ」
と、にっこり笑った。
 実によくできた息子である。八歳にしてこの人間力、ケチをつけるとこはどこにもない。あえて一般的でないことをあげるとしたら、私とは血の繋がりがないということくらい。結婚相手の宵闇の連れてきた子供で、そういう出会い方をしている割に、私たち二人の関係は良好なのではないかと思っている。私は彼のことを可愛く思っているし、彼からも特に嫌われていると感じたこともない。
「ありがとう。早く起きたの?」
 抱えてきたノートPCをテーブルに置き、コーヒーを一口すする。じんわりと眠気が溶け去ってくような心地。ほんのちょっとだけ。
「三十分くらい前に起きました。だらしない格好でいると叱られるので」
と、さわやかに笑う。
「だね。パパさんさんも怒られそうだ」
 これは半分本音。いつまでもうだつの上がらない自分に対しての自虐的な行動なのかとも考えてみたりもする。だらしない自分を叱ってほしい、叱るほどの愛情をいつまでも持っていてほしい。そんな甘ったれた三十二歳。
気が滅入ることこの上ない。
「気持ち悪い」
 そう呟きながらやってきたのはОZ、宵闇の父親だ。こちらも実の父親ではないとのことなのだけど、詳しいことは知らない。私にとっては義理の父親だということには変わりはない。
「飲み過ぎた」
と、スポーツ飲料のペットボトルを口にしている。頭頂で無造作に結わいた白髪交じりの長髪は、ぼんやりと伸びた無精ひげと相まって、何やら落ち武者のような風貌、これで作務衣など着てたらある意味統一感のある風体となったのだろうけど、スリムジーンズにメタルのバンドTの格好はどこかちぐはぐな二本足の案山子のようにしか見えず、その身体からは瘴気のような饐えたアルコール臭がもうもうと沸き起こっている。子供には見せられない、あるいは見せたくないような人物なのだが、何だかてんかはすごく懐いてぃる。
「クッキーありますよ、ОZ」
と茶色い紙袋を手渡す。
「ん?」
 手の中の袋をじっと見つめ、まあ、二日酔いの朝からクッキーとはなかなか胃もたれになりそうではあるし、かわいい孫の(形だけだけど)親切をどういう風に断るのか、少し意地悪な思いを持ってで注視していると、
「グランマム・シュガーメイドじゃん。この辺あったっけ、お店? てか、外出自粛中じゃね?」
と、微妙にテンションが高くなり始める。
「お取り寄せしました。支店とかなくって、神戸の本店だけみたいなんです」
「ネットでサクサクお買い物。ったく、便利な世の中だな、まじで」
 頭の中の凶悪な二日酔いの症状を、ただ目をつぶるだけでしのいでいるようにしか見えないОZは、その袋から取り出した大振りで分厚くて、バターたっぷり砂糖たっぷりといった体のクッキーにがぶりと噛みついた。もぐもぐと咀嚼し、大きく目を見開いて、
「うっめー。体中に栄養分が染みわたってくねぇ。最高。てんか、お前も食え。さとる君、君は」
とこちらを指さし、
「身支度を済ませるまでは食べてはダメ、以上」
と言い捨て、両眼をまた閉じた。
 別に食べたいという訳でもないのだ。

 俺にゃわからんが、こいつのうじうじしたとこ、宵闇の奴、どうして平気なんだろな?
どこかしらいいとこもあんだろうが、俺はヤダね、友達に要らないタイプ。大方、二日酔いでげろげろな時に、口ん中の水分ぜーんぶ持ってくようなクッキーなんて食ったらどうなるかってなことを考えてたんだろうが、ざーん念でした、こちとら甘いのもいけるクチだってーの。このもしゃもしゃがいーんじゃねーか、バーカ。うぅ、天井がぐるぐる回ってる、気持ち悪。

 ぱぱさんさんがパソコンの画面を開いた。ОZさんに何を言われても、本当はあんまり気にしてない。全くいつもの通りの平常心。
 時刻は午前四時五十九分。
 五時から家族会議を開くってママからのメール。あと五秒、だから、必ずその時間に、ほら映像が立ち上がって、
「グッド・モーニング、エブリワン。どう、みんな生きてる? 起きてる?」
と、いつも通りにご機嫌なママがしゃべりだす。時差が一時間くらいあるって言ってたから、あちらは今午前四時、それなのに画面の中のママはもうすでにエンジン全開で、真っ赤なスーツで身を包み、ちょっと派手目に決めたお化粧は、残念ながら口元の大きなマスクで半分くらい見えなかったけど、それでもうっとりするくらいにきれいで、ボクの自慢のママだった。
「てんか、おはよう。ちゃんと着替えて偉いね。一人でできたの?
「だってもう八歳だよ。そんなの簡単」
「そう? 聞いた、さとる君? 簡単だって」
「ちょっと寝坊しちゃったんだ、うっかり」
「ふーん、でお父さんは多分、お酒飲んでてそのまま眠ったって感じね。目が明いてないし」
「いやこれは瞑想中なのだ」
「ん? グランマム・シュガーメイドじゃん、その袋。どうしたの、お取り寄せ?」
と、何でもかんでもお見通し。ボクたちはもう余計なことをしゃべらなくても大丈夫。
「いい報告はマンゴーの樹の仕入れルートが開拓できたという件。素朴な感じの樹だからナチュラルな色味で作るおもちゃにピッタリね。今、試作品製作中。残念な報告は、このコロナの影響で、フィリピンから出られなくなりました。帰国未定ということ。以上。また、連絡します。てんか、いい子にね」
 映像は消え、オフラインの文字が点滅している。ボクたちはあっけにとられたようにそれを見ていた。ОZさんでさえ、薄目を開けてみていたと思う。
 しばらくたってパパさんさんが言った。
「解散。会議終了みたいです」

 宵闇は木製玩具メーカーのキニナルキの社長で、私はそこの営繕プラス広告プランナーという肩書。基本的には倉庫の番と掃除が日常業務で、ごくたまに、おもちゃとそれで遊ぶ子供の、ちょっと不思議なショートショートを考えて、チラシの片隅に載せたりもする。でも大抵は、子供が見知らぬ国に行ってしまったり、あるいは大人には見えない世界に旅立ったりしてしまうので、広告としては逆効果なのではないかと考えていね。楽しく遊ぶ子供、それを温かく見守る両親、本来求められているのはそういう絵柄なのだろうとは思うのだけど、私の書くものには大人は出てこない。出てくるとしたら、それは悪い大人であって、たとえ両親であっても、例えば見た目は変わらないのに中身だけは違う何者かになっていて、
木のハンマーでお腹をたたくと、ポーンという虚ろな音がするのでそれに気付くとか、そんな話ばかりなので、多分広告には向いていないはずだ。以前宵闇にそう言ったことがある、まだ、結婚する前、これほど何の役にも立ててない自分にいい加減嫌気がさしていたころのことだ。
「こんな話でいいわけがない。でも、私にはこんなのしか書けないんです。なんのお役にも立ててない。いっそ、馘首にしてもらった方が、すっきりする」
 すると宵闇は不思議そうにこちらを見てつぶやくように言った。
「子供とおもちゃのお話を書いてと言いました。大人や親が満足するお話ではありません。いつも読んでます。傑作ではないかも。でも楽しく読んでます。何かの役には立ててないでしょうけど、私は満足しています。以上」
 そしてニコッと笑うと、くるっと背を向けて立ち去った。恥ずかしい言い方だけど、その時、私は恋に落ちたのだろうと思う。今でもまだ、うだつの上がらぬままだけど。

 パパさんさんがよく言う、うだつというのをネットで調べてみた。土造りの防火壁らしく、そのページの画像を見る限りでは、隣接あるいは長屋のような建物の屋根の上、高いところにある壁がそうなのらしい。これが作れるということは裕福だということで、うだつがあげられないというのはつまり、そういう富を手にしていないということ。
 気にしなくていいと思うよ、パパさんさん。

 家ん中にずーっといて、ギター弾いたりDVD見たりしてるだけなのに腹は空く。そりゃ外でBМXでトリック決めてる時と比べりゃ雲泥の差だが、ま、ラーメンでも作ろうかと思った。
 ダイニングにはてんかがいて、お気に入りの日本地図パズルで遊んでいた。それも宵闇の会社の製品らしいが、まあ、各県が一つのピースになっているただのパズルで、そんなに熱中するほど面白いかは、俺にはわからん。
いや、それにしても分からんことが多いなぁ、俺、と考えながらちゃっちゃっちゃっとラーメンを作った。白い豚骨スープに甘辛く煮たこげ茶の豚バラ肉をトッピング。ほうれん草の緑を添えて。ああ、最高に美味そう。
「ラーメン、食べるか?」
 答えがない。
 いつもだと絶対に返事をする子なのにと、不思議に思ってそばに行くと、机の下やらカバンの中やら、何やら探し物をしている感じ。
「どうした? なんか無くなったのか?」
「四国のピースが足りないのです」
「四国?」
「はい。徳島です」
「徳島?」
「はい、焦げ茶色の。グランマム・シュガー「メイドのクッキーに似た色の」
「え?」
 何かがピタッと腑に落ちた。
 大体こういう場合、嫌な感じのことが本当になる。

 ОZさんは、リモートでバンドのお友達とお酒を飲んでいたということでした。こないだの家族会議の日の夜です。あんなにひどい二日酔いだったのに、迎い酒だとか言いながら。
 ギターをつま弾いたり、お酒を飲んだり、クッキーを食べたり、それは楽しい時間が過ぎていったのだと思います。
 そして、食べていた一枚のクッキーがなんだかとっても硬かったんだとОZさんは言いました。
「食べちゃったんだけどな」
と申し訳なさそうに言いました。
「でも、美味かったぜ、徳島」
 悪ぶった口ぶりですが、本当は申し訳なさそうな目をしています。仕方がないなぁと思いましたが、ボクは言ってみました。
「どうして徳島を食べたのですか?」
「クッキーだと思ったんだよ、似てるだろ?」

 おじいちゃんはひどいんだよ。
 おままごとしてあそんでたの。
 きょうのお夕飯は魚とおみそ汁とごはん。
 どうぞ召し上がれ。
 いただきます、ああ、おいしい、バリボリ
 おじいちゃんほんとに食べちゃダメ。
 おままごとしてあそんでるの。
 バリボリ。
 バリボリ。

 まあ、こんなこと書いててもな、と私は思ってる。いつまでたってもうだつが上がらない。
 それよりも、早く宵闇に会いたい。
















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