こんな僕にも彼にょができました!

 彼女の目は琥珀のようにやさしく輝いている。瞳孔は猫のそれのように縦長で、きっと神秘的な力で僕の心の中までお見通しなんだと、そう思えてならない。
(お前の姿はぼんやりとは見える。心はその幾倍も鮮明に思い描くことができる)
 彼女の思いは僕自身の感覚よりももっと僕自身の核に近いみたいな感じがして、とても不思議な気持ちになる。ぼんやりと聞いているラジオ放送で、突然有名DJが名指しで僕に語り掛けてくるかのような、しかもとっても親密に小さな思い出話をするような、そんな感じ。驚いたり妙に誇らしかったり照れ臭かったりする、そんな複雑な喜び。
 カーテンも閉めたままの部屋は薄暗いのだけど、外の物音、行き交う車とか通り過ぎる通行人の会話なんかからするともう昼間なんだろうなとなんとなく思う。仕事? 休んでしまおうかな。昨日も休んだのだっけ? 首になっちゃうかもな。ああ、おとといもこの部屋で彼女と二人過ごしていたような気がする。その前の日もそのまた前の日も。
(そして明日も、明後日も)
 彼女が少し口を開く。チロチロと細長い舌を動かし、何だか楽しげに笑う。
(お前の命のある限り、常に共にあり、その言葉に従うと誓う)
 彼女のその思いが僕の中で膨れ上がり、とてつもない恍惚感とともに、僕は長い射精を続ける。

 予定通りに弁当を配り終え、コンビニへと車を走らす。コーヒーとスイーツ、美味くもない弁当の後の楽しみの確保。
 ルートの終わりが多摩川のそばなので、河川敷に車を停めて、土手を登る。見晴らしのいいそこは絶好のランチスポット。一時間の休憩、スマホのアラームをセットして、僕は弁当を掻き込む。
 もう三年ほども続けている仕出し弁当の配達は特にやりでのある仕事とは言えないけれど、少なくとも昼飯に困ることはない。今日もオリジナル弁当を二食分平らげ、ひとごこち着いたところで、スイーツを取り出した。かぼちゃのミルクプリン、美味しそうだ。
 一口食べて、そのほのかな甘みを楽しむ。ホットコーヒーで口を洗い、混交した後味を楽しむ。ほんの些細な幸せ。あんな脂っぽい弁当、二つも食べるんじゃなかった。こんな毎日のせいでぶくぶく太って、ただでさえ見られない容姿がさらにひどくなって、おまけに軽のワゴンの運転席が窮屈になる始末、初めのころは面白かったシフト操作もこの頃では煩雑で、そもそも運転も好きではないので、こんな毎日のどこに何の意味があるのだろうと空を見上げた。
 田舎の両親には申し訳ないけれど、このまま僕は一人ぼっちで、友達も彼女もできずに生きて行くんだろうな、三十も半ばを過ぎて、結婚は?、とか尋ねられても何一つ前向きな答えを返さないで、多分もう、歳をとっていくのだろう。それでも、いいのではないだろうか?
 いつものコーヒーが少し苦く感じられる、なんてことはやはりなくて、薄めに淹れたモカブレンドはよそよそしい酸っぱさで僕の独りよがりをすき取った。
 飛行機の行く音に空を見上げる。青空の深いところに銀色の小魚のように飛んでいく旅客機が輝く。近くに国際空港があるので、頻繁な飛行機の往来があり、それをぼんやりと眺めるのも、この場所の好きな理由の一つなのだ。
 眼下の河川敷では草野球の練習する風景が小さく見え、その先の川面は滑らかにゆったりと流れていく。僕とは全く関係のない、それでもかけがえのない世界の欠片。
 そしてその片隅に、僕はどうしようもない孤独を舌の上で転がしている。寂しい自由だ。せめて世界ともう少し繋がることができたら、と、その時、まったくの無音にあることに気付いた。見上げると空が一瞬、ミルク色に反転したようで、ふと気付くと、手にしたコーヒーカップが熱くなっている。液面がまるで沸騰しているかのように激しく泡立っていた。
 時が止まっているかのような、まったくの無音の世界。
 見上げると先ほどの飛行機も音を立てることなく、青空とミルク色の空との狭間で動けずにいた。
 僕にはその光景が何故だかとてもユーモラスに思えて、口元の緩むのを我慢できなかった。ちょっと神様にでもなったような気持ちで、届く訳はないのだけれど、僕は右手を伸ばしてその銀色の魚影を摘まみ、目を閉じて、指先の感触を楽しんだ。確かにそこに冷たく身をよじる生き物の存在を感じ、それどころか威嚇するように一咬みされたことも理解した。
 驚いた僕は目を開けようとしたけれど、どうしてもできずに指先の痛みも小魚の逃げ出そうとする懸命な動きも少しずつ曖昧になっていき、だけれどもその存在自体はどんどん大きくなっていき、いつしか世界を覆い尽くしそのまま僕の右手に戻って、すぽっと何かを引き抜いたように青空が戻り、スマホのアラームが鳴った。一時だ、ルートを逆に戻って弁当箱を回収しなければならない。
 僕は車に戻る。

 彼女の肌はまるでビーズのようにきめ細やかに輝いていて、それは見つめると夜空のように僕の気持ちを吸い込んでいって、こうして僕は幾星霜を過ごしたことだろうと思うのだ。
(人間よ、お前の生などほんの一瞬だ)
 彼女は笑う。

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