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大同にみる降水量の変化 by 高見邦雄(GEN副代表)

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 地球温暖化は気温の上昇だけでなく、多くの方面の気候変動を伴っています。1990年代の大同は深刻な旱魃(かんばつ)がつづきましたが、2001年を最後にそれほどのものはないそうです。今世紀になって降水量が増えているという情報もあります。
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靠着山呀,没柴焼.十个年頭,九年旱,一年澇…(山は近くにあるけれど、煮炊きに使う柴はなし。十の年を重ねれば、九年は旱(ひでり)で一年は大水…)。大同の農村に伝わる民謡で、30年も通いつづけた私の実感でもあります。今回は後半についてみていきましょう。
 
 私が大同に通い始めたのは1992年からですが、1990年代の西暦の奇数年にいい年はなく、たいていは旱魃だったのです。とくにひどかったのが1999年で、灌漑のできない高所の村は蒔いた種ほども収穫できず、「建国いらい最悪の旱魃」と呼ばれました。建国とは1949年の中華人民共和国成立で、それからちょうど50年ですので、「五十年に一度の旱魃」と言い換えてもいいでしょう。
 2001年はそれに輪をかけた大旱魃で、乾燥につよい草や灌木まで枯れるものがでてきました。種を蒔くのを諦めて、早々と出稼ぎにでる人が多かったのです。「百年に一度の大旱魃」と呼ばれました。いくら十年のうち九年は旱魃だといっても、五十年に一度、百年に一度の旱魃がきびすを接してやってくるのではたまりません。大同の年間降水量は平均400mmですが、そのような年は200~250mmに落ち込んだそう。

 その当時、地球温暖化とからめてこんな指摘がありました。もともと洪水の多いバングラディシュなどでは温暖化にともなってますます雨が増え、黄河流域のような乾燥地では雨が少なくなる、と。そのころは風砂もほんとにひどかったので、これ以上、悪化したらと恐怖を感じたものです。
 
 「一年は大水…」とはなんでしょう。1995年が典型でした。この年、春から7月にかけてはひどい旱魃でしたが、8月になって雨が降りはじめ、9月、10月と降りやまなかったのです。
 大同市北部の農村では、土づくりのヤオトン(窰洞)がまだ多かったのです。壁も屋根も日干しレンガを積んだ分厚い造りで、断熱効果が高く、夏は涼しく、冬は暖かく、ここの気候にマッチしていました。なかには明代、清代に建てられ、500年を経過したものまであったのです。
 ところがこの年の長雨には対応できませんでした。屋根や壁に雨水が浸透し、つぎつぎに倒壊してしまったのです。大同では6万世帯、24万人が被災したと言われます。この年の降水量は650mmに達したよう。
 こんな災害が10年ごとに繰り返されたらたまりませんけど、それほどでなくても、暑い時期の局所集中的な豪雨で、畑や山の表土が流され、土地が劣化するのはごくふつうにあることです。水土流失と呼び、黄土高原の砂漠化の大きな原因ですけど、それについては回を改めます。
 
 旱魃に戻りますけど、1999年や2001年のような大旱魃は、あれ以後、記憶にないのです。まちがうといけないので、大同の友人に確かめたところ、小さな旱魃はあるけど、あれほどひどいのはない、とのこと。
 それから知人の研究者から黄土高原の降水量は1990年代は減少し、今世紀に入ってからは増加傾向にあるという情報をいただきました。
 北京から大同にむかう途中にある官庁ダムは、北京のたいせつな水ガメです。2004年4月、このダムの北岸を訪れたら、そのときの水際は本来のそれから1km以上も後退し、干上がった湖底でトウモロコシなどが栽培されていました。
 最近では水が増え、ポプラやヤナギなどの立ち木が水に浸かっているのを見るようになりました。南水北調が完成し、長江水系の水を北京でつかうようになって、その面での圧力が減ったのも大きな原因でしょうけど、ここより上流で雨が増えているのも考えられることです。
官庁ダムの水量の変化をみるために、2004年12月と2019年12月のGoogleEarthの画像を並べてみます。

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