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もうひとつの黄土高原の緑化活動-2002年「緑聖」朱序弼さんと会う by 村松弘一(GEN世話人)

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1990年代、日本の民間団体や個人が中国での緑化協力に取り組みはじめました。そのなかでもユニークと思われる、民間信仰を通じて資金を得て緑化をすすめた、陝西省楡林市の例を紹介します。
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 私が陝西省北部、楡林市の朱序弼さん(1932年生-2015年没)とはじめてお会いしたのは2002年10月のことでした。朱さんは1955年から楡林の造林局に勤務し、亡くなるまで陝北地区の緑化活動を象徴する技術者です。長年にわたる植林活動と「神業」的な沙地柏の接ぎ木技術で、「緑聖」と称されています。朱さんの活動については、上田信先生(立教大学)の授業や深尾葉子先生(大阪大学)の講演会で話を聞いていて、それは楡林市の黒龍潭という雨乞いの神様である龍王を祀る廟の廟会(神社の氏子集団のようなもの)のお布施(寄付金)の一部を活用して、周辺の山の緑化をしているというものでした。現代中国において、信仰というしかけを通じて集まった民間の資金で植林をしているという点に注目があつまっていました。私が2002年に朱さんとお会いできたのは、深尾先生のお弟子さんで、GENの世話人でもあった宮崎いずみさんを通じてのことでした。当時、私は西安の西北大学に滞在していて、宮崎さんは日本語教員として同じ寮に住んでいらっしゃいました。GENの緑をめぐる人と人とのネットワークが様々なところでつながっていることを実感します。

 さて、話をもどしましょう。朱さんと会ったのは当年の10月31日のこと。面会の前日、楡林の旧市街をぶらぶら歩いて楡林市文化宮という施設に入ると、日本人が珍しいと思ったのでしょう、劉さん(名は覚えていません)という楡林市の職員が話しかけてきました。役所にいったり、食事をおごってもらったりしながら、翌日、朱さんと会うという話をすると、劉さんは、彼は「神」だというのです。朱さんは神のように植物を育てる技術を持っているということなのか、それとも、彼の活動資金が廟という神をめぐって集められたものという意味だったのか、いまでもその真相はよくわかりません。

 翌日、その「神」をたずねて、楡林南の臥雲山植物園を訪れました。当時の私のメモを見ますと、サージや沙地柏、樟子松・白皮松、米国火炬樹・園栢を育てていると記しています。ここで育てられた苗が周辺の植林に利用されました。植物園の隣には紅胡祖師廟・真武祖師廟と毛沢東廟が附設されていて、この廟にあつまるお布施も植物園の運営資金の一部となっていたようです。特に、毛沢東廟というのが現代的で面白い。植物園を見学したのち、朱さんのご自宅へ伺いました。一般の労働者と変わらない古い住宅の一室には、多くの共産党からの賞状が飾られ、朱さんはひとつひとつ私にそれをうれしそうに説明してくださいました。廟会という前近代的なしくみと共産党という現代中国的な権威という、一見、相容れないようなものが、「緑化」というしかけを通じて混ざり合う、そんな不思議な感じがしました。

 朱さんが造林局を退職して臥雲山植物園を立ち上げたのは1995年のこと。大同では日本からの支援というかたちでGENが緑化活動をはじめた頃です。黄土高原の緑をめぐって、各地で多くの人々が行き交う、そんな時代のお話でした。朱さんがお亡くなりになって、もう8年。いま、黒龍潭や臥雲山植物園がどうなっているのか、久々に現地を訪れてみたくなりました。
 
(参考文献)
深尾葉子・安富歩編『黄土高原・緑を紡ぎだす人々:「緑聖」朱序弼をめぐる動きと語り』風響社、2010年

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