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はじめての黄土高原へ~1993年夏 by 村松弘一(GEN世話人)

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 1993年夏、はじめて私は黄土高原を訪れました。その時撮影した写真を見ると黄色い大地がむき出しになっていました。それから30年、今、そこは緑に覆われています。GENのたどった30年は、黄土高原全体の緑化の30年であったと言えるのかも知れません。
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 数日前、GENのエッセイのネタ探しのために研究室を整理していたところ、未開封の段ボールのなかから、はじめて黄土高原を訪れた時の写真を発見しました。1993年のことですから今年でちょうど30年経つことになります。当時私は大学生で、陝西省の西安にある西北大学にいました。4月に勉強を始めて3ヶ月経った夏休み、同じく留学していた学生と男三人黄土高原の旅を企画しました。たまたま持っていた『地球の歩き方』の巻頭の地図に西安から楡林までの飛行機の航路が示されていたので、いろいろ調べてみると(当時はインターネットなんてないので人と人の情報ネットに頼るほかなかったですが)、長安航空公司という会社の路線があるとのこと。チケットを手に入れ、7月6日、プロペラ機に乗って楡林へ出発。途中、激しく上下に揺れながらの空の旅、楡林に着いた時には乗客全員が拍手で自分たちの無事を喜んでいました。


 楡林空港に下り立つと、制服かと思うほど同じうすい緑色の服を着た輪タクのお兄さんたちが群れをなして客引きに来ました。輪タクで楡陽河を見て、目指すは万里の長城の砦、鎮北台。ここは明代の対モンゴルの最前線に位置し、西北はオルドス高原になります。そこではかつてオルドス部の遊牧民が暮らしていたわけですから、草原が広がっていたはずです。しかし、鎮北台から見た遙か遠くの風景はまさに「沙漠地帯」でした。この鎮北台にはその後も何度か行っていて、その度ごとにおなじアングルから写真を撮影してきました。1993年の夏の写真では湖の近くに緑はちらほら見えますが、手前も奥も黄色い大地がむき出しになっています。その12年後の2005年の写真には全体的にうっすらと緑が広がっています。そして、その16年後、2021年の写真では、撮影した時間が遅かったので暗くなっていますが、ほぼ緑に覆われている様子がわかると思います(この年はコロナで私自身は行けなかったので、前に書いたリモート現地調査で中国の方にリクエストして撮影してもらいました)。

ちょうど、30年前というと、大同でGENが活動をはじめたころになります。30年という時間をかけて、大同でもそして楡林でも緑化活動がおこなわれてきたのだと思います。黄土高原の各地に高見さんやGENにかかわる現地の方々のような危機感と強い意志を持って活動した人々がいたにちがいありません。30年前の私はと言うと、沙漠と長城を見て、ロマンチックチャイナを感じただけでししたが。
 
 さて、30年前の旅は楡林から長距離バスに乗って神木(石峁遺跡の近くですね)を経て、沙漠の中を北上して、東勝市(現在のオルドス市)を経由して、黄河を越えて包頭市へ、12時間ぐらいの旅だったでしょうか。その後、包頭から銀川・蘭州・敦煌を経て、新疆ウイグル自治区のイリ河まで3週間余りぶらり旅を続けました。物価も安かったし、どこでも自由にいけた、こんな旅は今では無理でしょうね。この時訪れた黄土高原の強烈な印象は、結果としてその後の、私の黄土高原の環境史研究への導火線になりました。次回は1996年の黄土高原の史跡調査の話をしたいと思います。それまでに、研究室で写真を発掘しないとなりませんね。

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