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黄土高原史話<2>今から10万年前、「大同湖」の岸辺では by谷口義介

 なにせ日本の1.5倍、黄土高原は広い、デカイ。春行くと、まさしく〝黄色い大地〟。しかしここには、かつて森林が茂り草が生え、緑豊かな沃野でした。
 「緑から黄色へ、そして今や赤信号」ではシャレにもなりませんが、実は〝青の時代〟もあったのです。
 数十万年前、山西省の南と北には、巨大な湖が2つ存在していました。
 ひとつは、山西中部から陝西省東部にかけて。今の汾河から黄河をへて渭河におよぶ一帯は「古汾渭水域」と呼ばれ、バイカル湖ほどの広さの三日月湖でした。
 そして湖岸には、旧石器時代(!)の遺跡が数多く点在しています。そのうちのひとつ、山西中部の丁村遺跡は、古地磁気測定法によって12万年前というのがほぼ確定。出土した動物化石から、当初は温暖・湿潤で森も豊かでしたが、次第に寒冷化が進み、やがて森林が減少、草原が拡大していった、とみられています。
 もうひとつは、山西北部の大同盆地。盆地全体が、スッポリ大きな湖でした。
 大同市の北東の陽高県にはGENが緑化協力している村がいくつかありますが (写真)、県の東部に所在する許家窯遺跡は、その湖岸に立地しています。現在の地表面下8m、ウラニウム法で測定した年代は10万年前。「許家窯人」と名づけられた化石骨20点ほど(10 個体余の老若男女)が出土しています。その他、1万4200点余の石器と巧みに細工した骨器なども。動物化石では野生ウマ・毛サイ・ カモシカが多く、花粉分析から草原の禾本科植物とマツ・スギといった樹木が推定されています。つまり、森林と草原が入り交じった「大同湖」の岸辺に、旧石器時代中期の「許家窯人」は住んでいたことになります。


 ちなみに、哺乳動物化石約20種のうち、完全な個体はひとつも見つかっておらず、すべて「許家窯人」が食べたあとの骨ガラ。ウマの歯だけの集計だと約360頭分になるそうですから、馬はやはりウマかった?(さぶ~!)
(緑の地球80号(2001年7月発行)掲載分)

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