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黄土高原で発見された巨大都市・石峁遺跡~「リモート現地調査」の試み by 村松弘一(GEN世話人)

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2011年黄土高原で石峁遺跡とよばれる古代の巨大都市が発見されました。ぜひ一度は訪れてみたいと思っていましたが、突然のコロナ禍。そんななか試みたのが、ネットを使った「リモート現地調査」という方法でした。
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 コロナ禍に入ってから、残念ながら中国大陸へ行くことができていません。最後に中国大陸に行ったのは2019年8月、洛陽・西安への海外ゼミ合宿でしたから、すでに3年半の時間が経とうとしています。私自身、1992年に上海に短期留学をして以来、2019年まで毎年、短期でも長期でも中国の大地を踏まない年はありませんでしたから、気がつけば中国は「遠い国」になってしまいました。

 ただ、中国史研究者として何もしないわけにはいけないので、この機会に、二回にわたってある試みをしてみました。名付けて「リモート現地調査」です。中国人の旅行社のスタッフに遺跡へ行ってもらい、WEB配信してもらうという企画です。一回目は2021年9月、黄土高原の北部、陝西省神木県で発見された石峁遺跡(せきぼう、シーマオ)という都市遺跡を訪問してもらいました。

この遺跡は2011年~2012年に発掘され、その総面積はなんと400万㎡、東京ディズニーランド8個分もの大きさにあたります。巨大な都市が黄土高原にあったことになります。遺跡が繁栄した時期は紀元前2300年頃ごろから前1800年頃、古代中国の文明のはじまりとされる「夏王朝」のころとなります。これまで、中国の多くの学者は黄河中流域の洛陽の近くの二里頭遺跡が「夏王朝」の中心であると考えてきました。しかし、それと同じ時期、黄土高原の台地の上から巨大都市が発見されたのです。日本史で言えば、奈良の都と同じ規模の遺跡が北海道で発見されるというぐらいの大発見です。この第一回目の「リモート現地調査」では諸事情のため、生配信はせずに、事前に衛星写真でルートや踏査してほしいことを調べて依頼し、後日、動画データを送ってもらうという方法をとりました(ドキュメンタリー方式というべきでしょうか)。平たい石を重ねた城壁の巨大さは映像でもよくわかります。また、この遺跡からは玉製品やワニの皮(鰐魚骨板。太鼓の一部か?)など現地では材料を調達できないものも発見され、西北や南方とのつながりも指摘されています。今後、石峁遺跡は黄土高原の歴史を語る上で欠かすことのできない重要な遺跡になると思います。

 二回目は2022年2月、黄土高原の南部、山西省の運城市の戦国時代の魏の禹王城遺跡と解池と呼ばれる巨大な塩湖の調査です。古代、各国はこの塩湖をめぐって激しい争いを繰り広げました。こちらはZOOMで生配信してもらい、日中の間で対話しながらリアルタイムで調査をしました。遺跡にいた農民へのインタビューや運城市内の関帝廟(『三国志』の関羽は運城の出身と言われています)、塩湖の観光客の様子がリアルタイムで見られるというのもコロナ禍のなかの貴重な体験でした。

 2023年、二回目の「リモート現地調査」から1年が経とうとしています。コロナ禍のなかで何かをやらないといけないと思いながら様々な試みをしてきました。昨年末にゼロコロナ政策が緩和されて、いよいよ大陸へ行くことができるのか。はたまた新たな難題が発生するのか。GENの次の中国での活動も楽しみですね。

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