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小老樹のこと by 高見邦雄(GEN副代表)

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 桑干河の流域に「小老樹」と呼ばれる林がありました。水不足のために伸び悩んだポプラの林です。手ひどい失敗と思われていたんですけど、でもこれらの木々、つぎの世代のために役立っていたのです。
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 桑干河の流域を中心に、大同市の各県に小老樹と呼ばれる林が広がっていました。中華人民共和国が1949年に成立し、首都が北京に決まると、その水源にあたる一帯で大緑化運動が展開されました。植えられたのはポプラ(小葉楊)で、苗を育てるのももどかしく、切ってきた枝をそのまま現場に挿したのだそう。
 ツアーのバスを運転してくれた馬さんは、子どものころ、父親のあとについてその活動に参加したそう。最初のうちはよく育って、とてもうれしく、誇らしかったんだそう。全国の緑化モデルにもなったのだとか。ところが、そのうちに伸びが止まり、だんだん小さく縮んで、小老樹になってしまった、と彼は話します。

 ポプラは成長が速いけど、そのぶん水の要求量が大きい木です。小さな苗のあいだは水の必要量も大きくなく、順調に育ちます。大きくなり、隣同士で根が重なると、水を奪い合うようになります。平面に密植されると、それがより深刻に。そんなときに干ばつがくると、ポプラは先端を枯らします。まるで自分の生命を守るためにそうするかのように。
 枝の一本が幹に換わり、また伸び始めます。干ばつの年がまたくると、同じように上部を枯らします。それが繰り返されると、幹はグニャグニャに曲がり、ポプラとは思えない姿になります。そうやって弱っているところを、カミキリムシに侵され、満身創痍になりました。

 1990年代の初め、私が一人で大同の農村を回ったころ、小老樹の林がたくさんありました。過去の失敗の象徴ですから見たくないと思えば思うほど目につきます。なかに入って足裏の感触に驚きました。軟らかいのです。スコップで掘ってみると、かなりの深さまで土が黒っぽい。
 そこに樹木があることは、小老樹であろうとも、偉大なことです。毎年、枯れ葉、枯れ枝を落として、土壌を改良するわけです。その小老樹の林が果樹園や農地に改造されるようになりました。小老樹は自分が大きく成長することはなかったけど、つぎの世代のために土を肥やしたのです。
 そのことを短い文章にまとめ、北京の友人に中国語に翻訳してもらったところ、大同市林業局の技術者が手を回して地元紙に掲載しました。

 じつは2011年から建設に取り組んだ緑の地球環境センター(大同県周士庄鎮)も、白登苗圃(同)も、もとは小老樹の林だったところで、周囲には小老樹がそのまま残っていました。
 それをみてもらいながらツアー参加者にこんな話をしました。小老樹はえらい!日本でも中国でも、じっちゃん、ばっちゃんがぜいたくな買い物をしてるけど、カードの名前は孫のものだ、あとの世代に負担と犠牲を押しつけている。それにくらべ、小老樹は自分は大きく育たなくても、あとの世代のために土壌を改良して残している!

 そんなことを繰り返すうちに、大同の友人は私のことを「小老樹主義」と呼び始めました。調子に乗った私は、「こんなところで死にたくはないけど、死んじゃったらしょうがない、そこらに埋めて、小石を拾ってきて『小老樹、土に還る』と書いてくれ」なんて話していたんですね。
 そしたらなんと、日本のさる大学調査団のメンバーに、大同の誰かが「高見はここに墓をつくりたいと言ってる」なんて話したらしいんです。それが調査報告書にそのまま書かれてしまって。あ~あ。

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