波の循環
波には必ず二つの極がある。
これを繰り返しめぐることで波として存在し、それが、直線的に流れているように見えることで波としての姿が現れる。しかし、直線で流れているのではなくて、曲線的な動きかもしれないのだ。円環として循環して流れているのかもしれない。(マルチバースやパラレルワールドという宇宙が存在するなら)
この波を円環として見ながら色んなことを考えると面白い。
原因結果の時間的流れも円環を繰り返して移行しているのかもしれない。
人生も経済も、そして政治も、この原因と結果が産み出す循環を考えた時に、どんな極があるのかを考えると二つのパターンが想定される。
一つは、愛(与える愛)の循環
もう一つは、恐怖の循環と言っても良いのかもしれない。
与える愛の循環での二つの極は、愛を与えられた結果、感謝の感情が生まれる。親子の情愛を考えれば解かりやすいけれど、愛と感謝の循環です。
恐怖での循環での二つの極は、アメとムチと服従の循環です。
褒美を貰えれば従い、また、与えられていた褒美をストップさせられれば、またそれを得ようとして従う。
政治の世界で顕著に見られることではある。
世界の歴史を見ても、多くの人を抱えて一つの国にまとめ上げるときに、この二つの循環の力で為されているのではないだろうか
基本というか発展の初期段階においては、ペットや動物などのしつけ教育に近いものがあっただろう。前提としてタップリの愛情が注ぎ込まれる必要が有るが、同時にもう一つの力も加えられる。エサなどの恩恵を与えられるかどうかで服従する場合と、その恩恵を取り上げられる恐れとでコントロールされる。
もう一つの愛の循環での場合は、愛をアメと同列に扱うべきものではないけれど、対象となる存在が、その愛をきちんと受け止めれるかどうかという問題がある。
愛を与えられた側には感謝の気持ちが起こるはずだが、それは一律ではない。その感謝の程度にもよるけれど、感謝には報恩という感情も起きる。
報恩の感情は、また、与える愛に成長して対象を越えて循環するだろう。
どちらにしても、愛・知・反省・発展の教えが有るように、この循環の中にあることではある。基本は愛が不可欠であり、しかし、愛を与えるには知恵が不可欠だ。かわいがり過ぎてダメにする場合もある。厳しくあり過ぎても同様であり、愛にかこつけて奪うばかりの愛を実践してしまう事もあり、どちらにせよ思っていたことと逆の結果を引き寄せることもある。
その課題を発展的に成長させる為に結果に対する検証と行動に対する検証とそもそも、思いの中身の質の検証と見直して修正すべきは直さなければ、その課題に置いても発展もない。
愛も知も反省も発展にも、良い子悪い子普通の子がある。
明らかに悪いものが混じると冒頭でいったように、愛の循環と恐怖の循環とに分かれるだろう。
この二つの循環は、別物のようにも見えるが関連もしている。
どちらも愛の循環であることは原則として間違いないだろうが、
子供のしつけでも、叱るべき時も有れば、ほめることも必要であり、その繰り返しの中で、与える愛と感謝の循環に移行していく必要が有るのだろう。
親の都合を優先しすぎてアメとムチで従わせるままで終わるなら、その子の魂の成長にプラスしない。そうではなくて、与えられた愛に敏感に気づき、感謝できるような魂に育ったならば、その子の思いと行動は愛に満ちたものになって行くだろう。
研修などで、感謝の発見というものがある。
愛の貸借対象表というもので、どれだけの愛を与えられ、どれだけの愛をお返しすることが出来たかという反省だ。当然、成長過程ではその差は比べようも無く、親からばかりでなく、社会からもどれだけの恩恵を与えられてきたのか考えるなら、比較のしようがない
服従の循環では、力の強い者、頭の良い者、金のある者が支配できるけれど、良質な愛をどれだけ備えていたとしても、リーダーとして良い支配者にはなれないだろう。受け取る側の資質も関係するからだ。
あのイエスキリストでもしかり、あの愛の教えの最高のモノを以てしても結果は出せなかった。しかし、奇跡の復活などの現象で信仰が復活して伝道が成され世界宗教になった。その愛の教えの中に、やはり最高の循環を生み出す光を宿しているということではある。ただ、受け取る側としては奇跡を見なければ信じないというのは問題があったように思う。
アメとムチで服従させる循環は、独裁者でも可能であり、マイナススパイラルを起こすリスクも強い。この循環ばかりで進むなら、更に強い者が上に来ることになり、悪霊や悪魔でもトップに立てる。
しかし、経済のことで考えても、与える愛の循環にこそ光の本質があり、
プラススパイラルの流れを起こすことには必要で有る。経済の中にアメとムチの論理を入れ込み過ぎるなら、詐欺などの犯罪が横行するようにもなるだろう。
波を一直線上に見るだけでなく、円として循環として立体的に見た時に根源の愛の発信者、創造主の意図が、その願いが見えてくるのではないだろうか。愛・知・反省・発展の四正道の循環がスパイラレを起こしながら進む。
その形がプラススパイラルを起こし、より最高の価値を生み出してほしいと願われているということは、私たち個人の願いのそれと同じであるはずだ。
ただ、その循環の元には真理知識が必要であり、正しい世界観の上に構築されるものであるだろう。
次の図のように、私の陰陽学でタテ軸の思考としているけれど、これを円環として見た時に、この愛・知・反省・発展の教えとリンクするだろう。
もちろん、その為にも心の統御が必要であり、全てに良い子悪い子普通の子があるように色んな判断が必要な時に、より良い判断が不可欠だ。
教えの中では、正しき心の探求が必要であるとされている。
このように考えると、全て、車の運転と同じように見えてくる。
どこに向かうべきか決めることが大事であり、そちらに向けて常にハンドルを切るように努力しながら、いろんな局面でアクセルかブレーキか決めてその加減も常に意識する必要が有る。
より安全に、理想とする目的地にたどり着くために必要とされる要素は車の運転の中にも有るだろう。
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