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財政を陰陽の複眼で考える

企業の目的は、利潤追求ではない。
利潤は、社会貢献(与える愛)という目的の先に結果として有るべきもの。

同じような言い方をするならば、財務省、政府の目的は、財政黒字化ではない。財政黒字は、社会貢献(与える愛)という目的の先に結果として有るべきもの。

因果関係を間違って理解しているために、結果としての財政の黒字化を目的として、その為に安易な増税という手段を使ってしまうのです。
その結果、国民を苦しめることになります。
企業が利潤追求にこだわりすぎるために犯罪すれすれのことに手を染めることと同じです。
その間違った認識の延長線上に詐欺や強盗の犯罪が起きてくる。

消費税など景気にブレーキをかけることは分かり切ったことなのに、なぜ消費税を次々と上げてきたのか、本来の目的は「世の為、人の為に成さんとする」ことなのに結果至上主義の愚かな勘違いをして、人々を苦しめているのは、まさしく犯罪行為なのです。

財務官僚の多くが死後、地獄に赴くことになるでしょう。
何故かというと、この間違った認識には「与える愛」が無いからです。自分の立場のことばかり考えて「奪う愛」の実践ばかりをしています。
要するに利己主義的であり、他者から奪おうとするような魂たちが死後肉体を脱ぎ捨てて、魂の世界、波だけの世界に行ったときに、同じ波長の者たちばかりが集まれば、どのような世界が出来るのか考えるなら判るでしょう。
自分たちさえ良ければという人たちばかりが集まって住んでいる所は、奪い合う世界であり、美しい世界ではなく、地獄であることは否定できないはずです。

強盗や詐欺レベルのことを正しいことだと信じ、結果として、多くの人たちを不幸に陥れている現実があるということです。
知って犯す罪より、知らずに犯す罪の方が問題だと言われている。
それは、多少自分の過ちに気づいているなら反省するに早いだろうが、
自分には過ちが無いと思い込んでいる人にとっては、反省は遥かに遠いことだからです。

財政政策は、本当は「愛(与える愛)」に満ちていなければならないのに、その仕事の中、その思いの中に、国民のお役に立とうという気持ちが無くて、自分たちの保身ばかりが入っているなら、判断を間違ってしまうだろう。こんな言い方は不思議に思えるかもしれませんが、どのような経済活動も、愛が循環して成り立っています。

愛から感謝が生まれ、感謝から愛が生まれ、それが循環して全ては成り立っています。原因から結果が生まれ、結果から、また原因となるものが生まれ循環して成り立ちます。
それなのに、途中で愛の循環を断ち切れば、それは成り立ちません。

どんなに民間で愛に満ちた仕事をしていても、それを取りまとめてくれている政府が、その途中で愛とは反対の奪う愛のような仕事をしているなら、その循環は止まらざるを得ません。結局、愛に準じるものが入るべき「なぜ」の所に結果目標を入れているからです。全ての悪事は、この構造にあるでしょう。

悪事が横行する社会は、美しくないばかりか経済など成り立ちようも無いことは理解できるでしょう。悪事を悪事とも思わずにまともだと考えてやっているのですから、その結果、多大な資金を投入しても経済成長せずに債務ばかり積み重ねているのでしょう。
要するに、善悪の判断が狂っているということ。
善の循環が成されていないということ。

善悪の判断に必要なのは、結局「愛」と「反省」でしょう。
動機の中に「与える愛」が入っているかどうか、その結果を見て「反省」して修正することが出来るかどうか。この複眼で見て考えなければ、悪循環を永遠に続けていくことになる。

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