ホエイ
僕は、シールが好きでした。
幼稚園から小学校低学年にかけて、スポーツや電車、自動車、お花、矢印、星など、スマートフォンで使う絵文字のレパートリーくらいたくさんのシールが家にはありました。
親が買い揃えていたと記憶しています。家にはいつも手紙と封筒(ディズニー柄や草花の柄など)が常備されていて、その封筒のふたにしたり、手紙の中に貼り散らしたりして使っていました。
親に、好きな女の子に、親戚に、友達に、何かと手紙を書いていたのはそんな経緯があったのだと思います。
今はもう、手紙なんて書かなくなってしまったのですが。
そんな感じで幼少期をシールと親しく過ごしてきたので、今でもシールを貰うと粗雑には扱えない節があります。だから何だよ、って感じではありますが。
そして今、何故か剥がして捨てられないシールがあります。至って普通のシールなのに。
それがこれです。
iPhoneの手帳型カバーに貼っているものです(カバーがボロボロなのには目を瞑って下さい)。
シールの印字が剥げかけているので補足をしますと、これはよみうりランドのフリーパスを買った人が、服に貼り付けておくことでその旨を表示するシールです。
彼女と付き合ってから初めてそこそこ遠出した時のもので、思い出の1枚なんですよね。
昨日、彼女と映画を1日見続けるという修行をしていたのですが、その休憩時間にたまたま、彼女に見つかりまして。
「なんか剥がせないんだよね…」と僕が苦笑すると、
「私も取ってあるの」と微笑み返されました(そう言って財布の中を漁っていたのですが、シールは見つからず、「いや、絶対どこかに取ってあるから!信じて!」と言われたことを付記しておきます)。
シールは、僕にとって写真に近いものなのかもしれません。
それこそ、ラジオ番組のノベルティとして頂けるステッカーだって、メールを送った記念みたいな。
アルバムの1ページなのかもしれません。
たったそれだけのことを何故か書き連ねたくなったので、久しぶりにnoteを更新してみました。
最近、noteは読み専になりかけてます。それこそラジオも聞き専になりつつあるのですが、とある地方FMのラジオ番組につらつらとメールを週1で送っているくらいでしょうか。
本当は送りたいんですけどね。自分の文才に限界しか感じないので、他人の面白い文を聴いて毎回凄いな、と思っています。
皆さんにも、他の人はそうでも無いのに、何故か自分は大事にしてしまうんだよね、みたいな物があるんでしょうか。
そのような物があったら、ぜひnoteで、Twitterで、教えて欲しいです。
さて、今回はこの辺で。またいつか。
炊きがちな玄米
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