笑いたきゃ笑えば良い、ただし好きな事で生きている人間の目は輝いている

「やりたいことやるって最高」
 これは、とあるバンドマンがライブの最中に言っていた言葉だ。私が10代の頃に聞いて、感銘を受けたフレーズである。体育会学生だった当時の私には、その姿がとても輝いて見えた。
 その当時は、今の自分に好きなことなんて無いし、そもそも周りが好きなことで生きていくなんて綺麗事認めてくれるわけないやろうし、絶対に笑われる、そんな卑屈な思いが私を引き止めていた。泥水に心地よく浸かっているような時間であった。

 大学1年次、僕は好きで部活を続けているわけではなくなった。熱の入らない活動に取り組み続ける時間はないと思い、家族に部活を辞めたいと話した。家族は、理解してくれると思っていたが、そう甘くはない。部活を続けるか続けないかの論争で、家族とは1年近く言い合った。喧嘩もしたし、胸糞悪い心にチクチク刺さるような言葉も散々言われた。お世話になった高校の先生にも、退部するなんて約束破りだと言われた。
 それらの意見は、至極真っ当であるし、相手の言い分は分かっていたつもりであった。それでも抑えられない衝動が自分の中で蠢き続けた。もう、自分を認められるのはこの世の中に自分しかない。毎日毎日そのような思いを抱えていた。今思えば、ここまで自分の思いが膨れ上がり、今年の4月から目標としていた職種に就けるのは、あの時間があったからこそだと思う。

 一昨年の12月頃、当時通っていたライター養成講座の卒業制作として、京都府亀岡市の刀鍛冶の方にインタビューを行い、5000字の記事を執筆した。彼は、中学生の頃に美術館に展示された刀の美しさに衝撃を受けた。それで刀鍛冶になると決意した。
 まだまだ知識も経験も浅く、稚拙であろう中学生の頃の衝撃が、生涯この仕事で生きていきたいと思う程の衝撃なんて、どれほどの衝撃なのだろう。私の感じてきた衝撃なんて、せいぜい蚊を叩くときの空気の揺れにすら見えてしまう。
 刀鍛冶の彼は、目先の収益を求めて活動している様子ではなかった。業界の発展、知名度の向上を目指し、日々活動していた。

 昨年の6月頃に、大学の卒業論文として京都府綾部市黒谷町の和紙職人の方にインタビューを行い、3000字の記事を執筆した。刀鍛冶の彼女は、胸を張って自身の仕事を好きだと言っていた。周りの人間に対して、自身の取り組みを堂々と好きだと言える。少なからず周りの目を気にする私にとって、彼女の言動はとても素敵だと感じた。
 もちろん葛藤や悩みを話す場面もあったが、それは向上心からなるものであるように見えた。受け身に生きていくのではなく、自ら道を切り開く彼女は、ただ率直に格好良かった。

 インタビューを受けてくださったお二人、あの時輝いて見えたバンドマン、好きなことで生きている人たちは、必ずと言っていい程輝いた目をしている。常に向上心を絶やさず、明るい未来のために突き進んでいるのだろう。

 私もあんな目をして生きて行きたい。これは綺麗事や聞こえの良いカッコつけた言葉ではなく、泥水でも啜ってやるという意味を込めた泥臭い本心である。

 大学生の間に、このような経験を経て感受性を涵養できたことは、これからの私の基盤となるだろう。
 合理だの利益だの常識だの、なんの面白味もない言葉たちにはうんざりだ。残り78年の人生、私は好きなことで生きていく。

 はー。スッキリ。今の自分の目はどうやろ。
色眼鏡外して鏡と向き合ってくる。大口叩いたけどまだ22歳やしね。大目に見てちょっ。
ちゃんちゃん。

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