別れにばっか気取られてるけど、前進やっちゅーねん


春は嫌いだ。
花粉が飛ぶから。

終わったこと、離れ離れになった人、
しばらく会われへんか、もしくは永遠に会うことのない人。

今私は帰り道にいる。大学1年の頃に出会って、しばらく連れ添った友人としばしの別れを済ませてきた帰り道。

その子は、大学を中退して居酒屋で働いている。
将来は自分のお店を持つこと、さらに自分の作った料理で人にありがとうと言われること、これを目標に日々業務に尽力している。

友人の私が胸を張って言おう。そんな彼の作る料理は絶品だ。
よくある褒め言葉になるが、
「お店に出てくるレベル」である。
それ程に料理上手な彼が、
居酒屋で料理を出すのだから、
当然のように美味しいし
お客さんも足繁く通う訳だ。

その友人には、いつも半年に1〜2回の頻度で会っている。
そして会うたびに、
(大人になったなぁ)
と、心の中で感心する。
現実的なお金の話であったり、
自分自身の理想や夢の話。
仕事に対する前向きなメンタリティの話など、
私にとって彼との会話で得られるものが
かなり多いと感じている。

その友人が、長らく連れ添っている彼女がいるのだが、
その彼女ともよく遊びにいく。
よく3人でいるのだが、
それぞれが持ち得るこだわりについて
語り合うことが多い。

そのような会話を行っていると、
段々と私も気分が良くなって来るのか
将来の話や夢の話などを、
べらべらと話すようになる。

私は、基本的に笑顔で気楽な人間として振る舞いたいという考え方なので、
あまり人に真剣な姿を見せない生き方をしているが、
その時ばかりはどうもタガが外れて歯止めが効かなくなってしまい、
私の理想論を長々と話してしまう。

一通り暑苦しい話を終えた後に、
冷静になって少し話しすぎたと後悔する。
また理想を押し付けてしまったのではないかと思う罪悪感から、話し相手に対して不自然な共感をする。
内心、
(これでチャラやな)
なんて思ったりもする。


そんなこんなを済ませた後の帰り道が、
今である。
それぞれ事情を抱えた人たち、異なる世界観で異なる目線を持った人たち、
それぞれ違う人たちが一つ同じ空間に存在する電車に乗っている。

大きな体で堂々とした立ち姿の大男。
血色のあまりよろしくない中年のおじさん。
私恋愛なんて興味ないと言いたげに参考書を読むお姉さん。
真横で風俗嬢と同じ匂いを放つスーツのおじさん。
美人に見惚れている俺。

そんなふうに、それぞれ異なる事情を抱え
多種多様となった電車に
乗っている。

人との別れや、楽しい時間、その時の感情の変化は、環境の変化に伴って普遍的に起こる。
この「春」という時期は、夏秋冬に比べて
変化する対象が増える。
それに合わせて私の感情の変化も、
往々にして起こる。
新たなステージに身を起き、
関わる人物や物事が変化することで、
新たな自分の発見や成長となる。
別れや変化といった事実には、そのような前向きな側面があり、
私もそれを理解しているのにも関わらず、
別れというものが、どうしても前進に思えないのである。

何に対しても、好きになればなるほど
絶対的に別れの辛さも大きくなる。
そんな別れが1年間で相対的に増えるのが
「春」という季節だと思う。
ほのぼのとした陽気な日差しすらも
切なく感じてしまう。
悔いのないよう、日々の刹那を大切に
生きて行こうと思う。

春は嫌いだ。
感傷にやられる。


なーんてねっ


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