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猫の手なんてホンマに借りたいか?

猫の手も借りたいという慣用句があるが、
物心ついた日本人であればほとんどが知っているであろう言葉だ。

この慣用句の意味は、忙殺され人手が足りないが故に猫の手すらも借りたいということ。

幼い頃は、これに対して
「そんな忙しい状況があるんか」
「人類は大変な生き物だな」
など、呑気なことを考えていた。

だが、私は最近猫を飼い始めたことによって
この慣用句に対して、少し違う意味の捉え方
があるのではないかと感じた。

「猫の手も借りたい」という言葉は、
→忙しすぎて人手が足りない
→猫でもいいから働いてほしい
→基本的に猫は労働力にならない
それ即ち、猫はポンコツである
ということが根本にあると思う。

ご飯食べて寝て起きて遊んで
トイレ行って砂に隠す。
ニャーニャーとなにかを訴えかけてくるものの、
何を言ってるかは皆目検討もつかない。
暴れたいのか甘えたいのかが、
全く分からない。
そんなちんぷんかんぷんな猫の
怠惰なポンコツさからくる
愛苦しさが詰まった
慣用句になると思う。
 
そしてまた思うのが、
こんなに可愛らしいビジュアルの掌を
人間が借りようとするなんていうことが
そもそも烏滸がましいのではなかろうか。

こんな可愛い肉球を資本主義の発展として
労働力に使おうとするなってこと。
猫には、各々の分野で自分らしく
生きていてくれればいいんですよ。
存在しているだけでいいんですよ。
猫らしく生きていてくれればいい。

あー来世は猫になりたい
気分次第で愛想振りまいて
のんびりと生きて行こう

ん?その生き方、、
今世とそないに大差あらへんな


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