喪失から再生の過程を紡ぐ物語

※このnoteは映画「トラペジウム」のネタバレを数多く含みます。
映画の本編に興味がある人は、映画「トラペジウム」を見てからこの考察をお楽しみください。

今日、映画「トラペジウム」を見てきた。アイドルが描くアイドルを目指す女の子の話ということで非常に興味を持って楽しみにしていたが、予想を超える展開と表現描写で非常に心を掴まれた。今回は、この「トラペジウム」という作品が何を描き出したかったのかについて、つらつらと書いていこうと思う。

➀「トラペジウム」とはどんな話なのか
「トラペジウム」は乃木坂46の1期生である高山一実さんという方が書いた作品である。雑誌『ダ・ヴィンチ』で連載された小説で、2年間ほどで完結を迎えたそうだ。

内容としては、城州に住む高校1年生の女の子、東ゆうがアイドルを目指すという物語。東ゆうは城州の西・南・北から、自分がかわいいと思った女の子と友達になり、アイドルグループを結成することを計画する。南からは「華鳥蘭子」、西からは「大河くるみ」、そして北に関しては、偶然再会した小学校の時の同級生「亀井美嘉」と、友達になり、そしてやがて同じアイドルグループのメンバーとして活動していくことにする。

4人が行っていたボランティア活動がテレビに映り、それをきっかけに、古賀というテレビの関係者にテレビ出演を打診され、結果としてとんとん拍子にテレビ出演を果たす。最初は、バラエティ番組のコーナーの一つとして活動をしていたのだが、やがて番組企画としてアイドルを目指すこととなる。4人は曲を披露し、事務所にも所属するようになった。東西南北(仮)として始まったアイドル活動はとても順風満帆だった。ただし、たった一人、東ゆうにとっては、順風満帆だったということなのだが。

順調にアイドルとしての道を駆け抜けていくかに見えた4人だった。しかし、亀井美嘉には付き合っていた男性がいたことが発覚。もともと人前で目立つことが好きではなかった大河くるみの精神の不調。最初こそ楽しんで活動していた華鳥蘭子だったが、徐々に自分がどこに向かおうとしているのかわからなくなってくる。同じ方向を見ていたはずの4人だったが、気づけば東ゆうだけがアイドルとしての自分たちを神聖視していた。ただそれだけになっていた。大河くるみの精神的な不調に端を発し、東西南北(仮)は解散することを余儀なくされた。そして、自身のアイドルとしての活動を神聖視していた東ゆうは全てを失ったのだと思い、部屋に閉じこもるようになった。

少し月日がたち、東ゆうは少しずつアイドルをする前の生活に戻っていく。進路に悩む、アイドルという指針を失った自分がこの後何をしていくべきなのかに思い悩んだ東ゆうのもとに、古賀から連絡が入り、東西南北(仮)は解散してしまったものの、その時に東西南北(仮)をプロデュースしていた番組の曲を集めたアルバムに、東西南北(仮)の歌が1曲収録されることが決まったことを伝えられる。今さらだと思った東ゆうだったが、古賀から、東西南北(仮)から古賀自身がたくさんのものをもらったということを伝えられ、自身がアイドルとして活動してきたことが全てなかったものになったということではないことに思い至る。そして、東ゆうは東西南北(仮)の解散以来、会っていなかったメンバーたちの事を思い出すようになる。

その後、初めに会ったのは、かつての小学校の同級生だった亀井美嘉だった。小学校の時に自分とどういう関係だったのかを彼女に訊いた東ゆうは、亀井美嘉が「自分を救ってくれたゆうは紛れもなくヒーローだったのだ」と、初めて聞かされる。彼女はアイドルになる前から誰かにとっての輝きだったのだと少しずつ気づき始めていく。

その後、数日たって、東西南北(仮)の曲が一曲だけ収録されたCDが発売された。それを買って丘の上で時間を過ごしていると、同じCDを買った東西南北(仮)のメンバーが同じように来たのだった。東ゆうはこれまでの事をすべて謝罪し、今後も友達でいることを約束した。そしてそれぞれが各々の道を目指して歩き始めていくことを象徴するかのように、アイドルとして完成させるはずだった曲をみんなで歌うのだった。

そして、それから数年の月日が過ぎた日の事。東ゆうは再びアイドルとして活動していた。他の3人に関しても、華鳥蘭子はアイドルとして活動していた時に感じたことを生かし、世界中を飛び回り支援活動を、大河くるみは自信の大好きなロボットの研究を活かしエンジニアに、そして亀井美嘉は結婚をし、二人目を妊娠しているところだった。それぞれがそれぞれの道へ歩んだことを確信させる終わり方で本編は幕を閉じるのだった。

➁「トラペジウム」は何を描いたのか
この作品の大きなテーマの一つと考えられるのが「喪失から再生」である。東ゆうは自身の夢見た「アイドル」という道に幸運にも進むことができた。しかし、それはメンバーとの足取りが合わなくなったところから徐々に崩壊し、一度は全てを失うことになる。それでいてなお、彼女はすべて失ったと思われた自分の中に、まだ確かにある大切なものの存在に気づき、友情を、そして将来的にはアイドルとしての自分を再びつかむことになるのである。

東ゆうは熱狂的なアイドル好きで、「アイドル」という存在を神聖視していた。彼女はメンバーと足取りが合わなくなり、崩壊するきっかけになった日に、「アイドルほど素晴らしい職業はない」といったことをメンバーに熱弁する。もはや「アイドル」を神のごとく崇拝している彼女にとっては、「アイドル」というものを自分が自分らしく居るためのアイデンティティの具現化だと思い込んでいた。彼女を彼女たらしめるものとしての「アイドル」の否定は彼女自身の生の否定とも重なる部分があったのかもしれない。

しかし、彼女は自身の手からするりと抜け落ちた「アイドル」というアイデンティティをすべて失った後、その軌跡をたどるかのように、古賀さんやメンバーとの再会を経て、自身の中に確かに残る何かをつかむ。そして彼女は、それでもアイドルを目指したいと考えて突き進むようになった。

かつて、偶然にも、大人から与えられ、全てがトントン拍子に進んだ「アイドル」とは違い、自分が現実を見て、喪失感を経験し、それでもなお目指したいと思ったアイドルへの挑戦を続けていく。彼女の2度目のアイドルとしての人生は、紛れもなく彼女自身が手を伸ばした先にあるものだったのである。

印象的だったのは、東ゆうが同じ坂を走る場面における対比描写である。全てを失った時、東ゆうは友達から離れるようにその坂を雨の中駆け下りた。数年後、再びアイドルになった時、東ゆうは友達に会うためにその坂を澄んだ空の下駆け上がった。これが喪失と再生を象徴するシーンとして非常に重要であるように思われるのである。

まあ、ここまで長々書いたけど、言いたいことは一つだけ。
賛否両論あるけど、面白いから「トラペジウム」見てね!って話。
以上!


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