物を送り合う行為の良さ

人に感化されることのいいところは、自分では見つけられない趣味とか、自分の知らなかった楽しいことを間接的に教えてもらえることだと思う。逆によくないところが、感化されることを少しダサいと思ってしまうことだと思う。

俺は感化などされないと強く否定する中学生活を過ごし、感化されやすさに次第に気づいた高校~大学を経て、もはや感化されていくことが非常に楽しいことだと悟り、様々な楽しさを人から享受している。

やってみたいことが増えた時、俺はロックマンエグゼで新しいスタイルが解放された時にも似たワクワクと、これを得た日常はどうなるんだろうという期待感でいっぱいになってしまう。

3月27日、絵を描き始めてみた。水彩絵の具と絵筆で、机の上に飾ってある車のおもちゃを描いた。別にうまく描けてるわけじゃないんだけど、色を塗るのがとても楽しく「筆で絵を描くと、それなりに見えるな」と絵を舐めながら基礎的なことは度外視して、楽しさに没頭した。

今は勧められた本などを読みながら、それっぽく描くようにしている。(最近はそんなに描いてないのでしっかり描かないといけないね)

「絵、めちゃくちゃ面白そうだな」と思ったきっかけとなった友達(俺は「知り合い」とかいう少しドライな表現で誰かを言い表すのがあまり得意じゃなく、同意なしに「友達」と呼ぶ)の絵は非常によく、色といい線といい、ほとんど全てがとてもとても素晴らしい作品だと思っている。それに絵だけじゃなくまた字もいい。

彼がそういった方面で食べていくことはないだろうが、日常の中でふと素晴らしい一瞬を演出するパワーがあると思う。(花とか詩みたいな)そんな彼の作品がたまらなくほしくなったので、自分の描いた絵と交換を申し出て送ってもらうことにした。

俺が描いた「水遁の術で死ぬポパイのモデル」の絵を送るとき、このデジタル社会の中で紙切れ一枚を送りつけるのはめちゃくちゃアウトローかつセクシーな気がして、なんかそういうタイプの新しいギャングかと思った。

さっき、その友達から絵が届いた。マジですべての絵と字が良く、心がお茶飲んだ時にうめえ~って思う気持ちと同じ波形をしていた。今、うちには額がないからあれだけど、絶対に額装をしたい。金色のピカピカの額でゴージャスに飾りたいね。

同封の手紙には近況や絵のことなどが描いてあり、適度な距離感・慣れないコミュニケーション方法で自分で作ったもの、送りたいと思ったものを送ったり、送られたりすることは普通にいいなと思った。小さい頃のお誕生日みたいにめちゃくちゃ楽しい気分になる。

特に人に会いに行けない状況だからこそ、物質的なやりとりがとても価値を帯びているのかもしれないね。

ドーナツの絵、めちゃくちゃ好きなんだよこれ、マジいいよなこれ。ありがとう、こちらこそまた絵を送ります。

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