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自分の言葉で捉え直す、自分の声にのせてみる。

現在、学生たちと一緒に取り組んでいることがある。
これはボランティアセンター(以下、ボラセン)が主催する活動なのだが、「身近な社会的障壁(バリア)を知る・考えるだけでなく、解消を目指す」というものだ。私たちはそれをバリアフリープロジェクトと名付け、春に学生を募集し、その後プロジェクトをスタートさせている。

このプロジェクトのおもしろいところは、募集時点では何を実施するのか決まっていないところだ。「教職員が設定した課題に学生が取り組む」といういかにも学校教育的な枠組みを脱し、学生が考えたことに職員も全力でのっかり、その実現に向けて一緒に取り組んでいくことにしている。

今年、私が学生とともに取り組んでいるのが、社会の中に浮遊するモヤモヤワードを自分たちに引き寄せ、そのモヤモヤの正体を探る「ゆるもやおしゃべり!」だ。

詳細は、学生が書いた下記のnote記事をご覧いただきたい。マガジンとしてまとめており、各回の活動報告記事も見ることができる。

「言葉」の使われ方や意味は、社会の揺らぎと共振しながら、もしくはそれに抗うことへの反動によって変化していくわけだが、同時に多義的になっていく側面をもつ。その「言葉」の発信側と受信側で解釈が異なる場合が出てくるのである。
そこで生まれるズレにより、「言葉」によって伝えたいことがぼんやりとする。そして、うまく受け止められない、消化できない事態が生じる。モヤモヤするわけだ。

モヤモヤは、言語化しにくい。だからこそ、よりモヤモヤする。誰かにこの気持ちを伝えたいのに、どんな言葉を用いればいいのかわからない。
「ゆるもやおしゃべり!」では、そんなモヤモヤを参加者とともに分かち合うこと、そのモヤモヤに対する考えを耕すことを目指している。

もしかしたら、著名な哲学者の言葉を借りれば、先人の議論をなぞれば、そのモヤモヤが晴れるのかもしれない。
しかしここでは、対話を通してそれぞれの価値観の偏りや違いに触れ、それをポジティブに捉えることによって、言葉の背景にあるものを探っていきたい。さらに言うなら、誰かの言葉を借りてくる(代弁者になる)のではなく、自分の言葉で語れるようにしたい。そこで生まれる「語れなさ」によって伝わることもあるはずだから。

答えがないことを答えを求めずに考えていく場があってもいい。合意形成なんてせず、一人ひとりが自分の中にそっとしまって置けるような何かをもって帰るぐらいでちょうどいい。
そう思って、場をひらいている。

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