オタクって本当に虚無

自分の周り、推しを推すことでしか生きる喜びを得られない、推しが生きがいのうちかなり高い割合を占めていて推しがいなかったら何をして生きたら良いかわからず死ぬしか無いからオタクやってるけど、オタクやってることが虚無過ぎてつらすぎてオタクやめたいが口癖になってる人ばっかりなのよね。自分もね。

そもそも2次元3次元限らず、人間を推すことの虚無さってやばいよね。

鉄道、コスメ、アニメとか何か"物"を推してる人は払ったお金や時間がそのまま物として自分の手元に残るじゃん。

でも、人間を推すって円盤もグッズもその"物"に価値を感じているわけじゃなくてそこに映っている人間が好きなわけじゃん。

どれだけお金や時間を費やしてもその人が映された物が手元に残っていくだけで推しは自分のことを見てくれることは無いって本当に虚無過ぎないかな。あまりにも報われない。

そもそも、(人によることは前提として)みんな少なからず推しには恋愛に近い感情を抱くと思うんだよね。そこで立場の違いを割り切れる人はオタクに、割り切れない人はリアコや夢女子になるんだと思う。
だから推しに恋人がいたら悲しいって思うんじゃないかな。

推しに恋人ができたら祝福してあげるべきって言うのはもっともだけどそれを押し付けないでよって思う。

普通好きな人に好きな人がいたら素直に応援できなくない?辛くない?なんで私じゃないのって思わない?

立場が違いすぎるから馬鹿馬鹿しいことかもしれないけど推しとか関係なく好きな人に好きな人がいたら悲しいんだもん。嘆かせてよ。嘆く時間すらくれない幸せ願い強要外野って本当に何。

どれだけ好きでも何やっても報われないのにそれでも推しからの供給を受けることでしか幸せを感じられないオタクとして生きて、推しのためにってダイエットして美容院行ってコンタクトや服やコスメを新調するの無駄すぎてつらすぎてなんで生きてるのかわからなくなる。

でも推しのことが大好きなんだよなぁ。降りるって選択肢は最初から用意されてないのよ。

辛いなぁ。

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