老害化


私は普段、音楽のサブスクアプリでランダム再生をしているのだが、先程Adoさんの曲が流れた。
(「うっせぇわ」の歌手、と言えば分かりやすいだろうか)

彼女はネットから流行したシンガーで、18歳という若さだからこそ、思いを代弁するような曲が若い世代を中心に共感を誘った。

とはいえ、作詞はAdoさんではない別の方なので、歌詞自体は大人(ここでは便宜上そう言わせていただく)が創ったものだ。

さて、ここで話を戻して「うっせぇわ」がランダム再生で流れてきた時の私の思考の移り変わりを解説しよう。

  1. 「あ、この歌い方はAdoさんだな」

  2. 「また何か叫んでるけど、あんまり共感できないや」

  3. 「所詮18歳の女の子だから、あんまり社会のことは分かんないのに、よく社会に対する鬱憤を歌えるな」

  4. 「どうせ的を射てないだろうから、聴かなくていいや」

  5. 「いや、そうやって何でも思い込みで弾いてしまっていては、知見を広げる機会を失ってしまうな」

  6. 「とりあえず聴くか」

ここで問題なのは3と4だ。
何故このような決めつけをしてしまうのか。
作詞をしているのは大人(社会人)だし、歌っているAdoさんだって自分で稼いで生活している立派な社会人であるはずなのに。

考えてみたが、これは偏に「嫉妬」に由来するものだろう。
私と比較して、彼女は圧倒的に社会的に貢献している立場にある。
また、お金を稼いでいる。

これに対し、私が彼女に勝てる部分があるとすれば「年齢」と「社会的経験年数が長い」くらいしかない。(悔しい)(長い方が偉い、という考えもどうかと思うが)

どうにかしてその部分でマウントをとり、取るに足らない存在である自分の自尊心を守るために、彼女を貶めたのだ。
無自覚のうちに、私は自身の価値を低く見積もっていたのだろう。
そんなことしなくて良いのに。


だから、私を褒めよう。

5,6を考えて思い止まるあたり、流石私だ。
メタ認知がしっかりできている。
偉いぞ。
生ける哲学者だ。
成長できてるぞ。
偉いぞ。


以上です。


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