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落下する夕方 1

今日は明日が判決の日という事で、お寿司に行こうということになった。毎日のことながら頼まないとどんなに汚くても掃除は自分からしない。部屋の隅に寝ているばかり。私は朝の仕事を少しすませてルンバを動かして支度をする。のっそりと起き上がり、ルンバをかせとごとくに奪ってさも自分がやってるかのように掃除しだす。でもルンバから異音がしたので(それを気に留めないその人は)いたので、私は中身をみた。ゴミでぱんぱん。洗ってきれいにしていると、「もっと中にこのクリップが入っていて、それが音を出している」と主張してきた。じゃあ自分でやればいい。私は無視して支度した。

手をつないで歩くと暑い。歩きにくいし、自分の思う方向に歩けない。なんで手をつないで歩いたりするんだろう。でもこれが二人で住むということだ。人生を共にするってそういうこと。意味が解らないことを続けるっていうこと。

歩いているとゆっくり自転車をこいでいる人に対してクラクションを鳴らす男がいた。その隣には妻らしき人物。私は、こんなクラクションの使い方をして、ただれたような顔をしている男と暮らすぐらいなら、絶対にクラクションは鳴らさなくて顔は自分の好みの男の方が2倍はましだと思った。隣に座っている妻が一緒にあの男と暮らしていると思うとぞっとする。結局、なにを優先順位とするか、だ。私は見た目と、私だけを愛してくれる人という二条件でこの人を選んだわけだから、掃除ができなくても仕事がなくても頑固でもお金がなくても、それは自分が選んだことなのだ。

お寿司に行って味のしない寿司を食べて、あの人が行きたいというカフェに行ったが、長蛇の列。列が嫌いだという彼は次の店を促した。自分が嫌なことを私も嫌だよねと同意を取る男。

先日、結婚する?と言われた。それはビジネスビザがとれないからという理由から来たジョークだが、私は、ただ黙っていた。本音は仕事のない男とは結婚したくなかったし、それは母親も周りのみんなも望まないと思う。周りが望まないという点を自分の考えに入れている理由は、主観を遠ざけたいからだった。理由は伝えなかった。

カフェに行って2時間の仕事を私がこなしている間じゅう、Wi-Fiのつながらない携帯と一緒に待っていた。解雇された職場のことを聞いたら、上司のノルマが厳しすぎると言っていた。それは普通だ、と思った。

それから湿度の高い道をどんどん歩いた。私が水道の蛇口から食洗器へつなぐホースが欲しいといったから、店までの道のりを歩くことになった。とてもあつくて、道も選べなくて、つないだ手は汗ににじんでいたが、これももう最後かと思うとほっとした。ほっとする気持ち、寂しいと思う気持ち、これからは自分で選んだ道を歩くのだという気持ち。どれも本音だった。


スーパーに寄って買い物して帰ると、買ったものを冷蔵庫に入れてくれて、ホースを(不完全ながら)つないでくれた。しかし、冷蔵庫の前にちらばったものを見ると、私が凍らせたくて買ったアイスノンの枕が転がっていた。冷凍庫を開けると自分の大きなペットボトル。それは凍らせておきたかったようだ。

小さなことから人は人を愛せなくなる。その下に、何層にもどうでもいい不満が薄くたまって、それが整理されないと紙でできた塔は崩れる。相手は永久に「なぜ」その塔が倒れたかわからない。でも倒れた事実だけは現前としていて、その事実がどんどん流れていく。それだけ。

考えない練習をもっとしなければいけない。

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