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「視聴者参加型のスリル」 200621 日記

・さきほどまで「けたたましく●すクマ -死の電気椅子-」を観てた。

・どこまでネタバレして良いのか分からないのでネタバレしない程度に感想…

・内容は視聴者参加型のライブ演劇で、デスゲームに参加する6人とゲームマスターの「けたくま」を観ながら、視聴者はコメント欄で書き込んだり投票を行い、その結果によってルート分岐が起こるというもの。



・面白かった!ゲームの内容としても、脚本としても、システムとしても。

・特に良かったのが、視聴者参加型においての「自分の発言でどこまで展開に影響を与えられるかのスリル」があったこと。


・「視聴者参加型で展開が変わる」というシステムはテレビのdボタンで投票するものがまず思い浮かぶ。最近だと水曜日のダウンタウンでリモートコントロールクロちゃんという企画があったり。


・Twitchでは、視聴者がチャット欄でキーコマンドを投稿すると最多投票のキーコマンドが入力されて進行するポケモンでクリアを目指す「Twitch Plays Pokemon」という配信があったり。

・(めちゃくちゃ面白いのでまとめで読んで欲しい…。リザードを逃がそうとする勢力が現れるのマジで笑う)


・複数参加型ではないが、Netflixでも『バンダースナッチ』という映画があり、これも自分が話の展開を決められるという作品。


・ここに挙げたような作品はどれもそれぞれの良さがあるけど、今回の「けたくまデスゲーム」は今までのよりもスリルがあった。

・その要因の一つが視聴者の数。今回の視聴者はおそらく300人弱。このくらいの人数だと「頑張って主張すれば話の展開を自分の思う方向に持っていけるのでは!?」と思える。(現に、チャット欄でも方向性を各々導こうとする自治的な動きがしばしば起こってた)

・対して、テレビ番組での投票だと、自分がどうこうできる参加人数ではない。そもそも意見を主張できない。こうなると、大きなうねりに飲み込まれて自分が展開に影響を与えてる、という感覚は薄くなる。選挙も同じような感覚よな。

・そういう意味で「けたくまデスゲーム」は自分が影響を与えられるか与えられないかの視聴者数がちょうどよく、思い通りに行くことも行かないこともある。

・そのため「もっとうまくできたのでは…!!」という悔しさが残る。こういう悔しさって何か良いんだよな〜。ボードゲームでも2回目遊ぶのは「次はもっとうまくできるはず」っていう気持ちが大きい。



・こういう「この時この場限り」のレガシーゲーム的な体験ができるパッケージ、今も増えてるけどもっと増えていきそうな気がするし、もっと体験した〜い!

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