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赤パン33ドットコム

はじめに


高校3年の時に体育の授業でやったラグビーが面白かったので、大学(水大ラグビー部)そしてクラブチーム(オールバッカス)でラグビーを続けました。

クラブチームは33歳の時(ナント平成3年3月3日)に引退しましたが、40歳直前でかつてのメンバー達とチームを再結成(サンデーバーバリアン)し、それとは別に水産系大学のOBチーム(水産ラガー)にも加入して10年近くプレーしました。

50歳になる時に体調を崩して軽い運動すらしなくなりましたが、還暦を迎えてまたどうしてもラグビーをしたくなり昨年1月に再再々復帰しました。

かつてお世話になった水産ラガー(現海洋ラガー)の一員として毎週土曜日に越中島の東京海洋大学キャンパスにあるグランドで練習してます。

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越中島グランドに集まる赤パンラガーの方々と試合に勝つための練習とアフターの呑みを楽しみたいと思っています。

昭和の終わりは輝いていたのか?

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高校3年の体育の授業が面白くて勇んで “水大ラグビー部” に入部したのが昭和51年4月でした。1年生の時は練習最初のランパスで足腰が立たなくなり絶望の淵に沈みましたが、いつの間にか地力もついて2年生からは試合でも走れるようになりました。

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そして “オールバッカス” という新宿ゴールデン街に屯する(たむろする)酔っ払い達が作ったチームに入ったのが、大学を卒業して最初の同窓会の京浜支部(現在は関東支部)の集まりの時にお会いしたラグビー部の3つ上の先輩(1年生の時の4年生は神様なのです)に紹介された昭和55年6月でした。

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どちらも昭和の終わりの懐かしい、なんかキラキラしてた時代です。

そんなチョッピリ輝いて、ほろ苦がったあの頃のことをこれから少しづつ綴っていこうと思います。

ということで “赤パン33ドットコム” は、赤パンラガーで再再々復帰した現在進行中の爺ィ編と昭和の終わりの懐かしい青春編の二つの流れで記事を更新していきます。

サポートよろしくたのんます。"水大ラグビー部" の取材をかねて下関にとんちゃん鍋を食べに行きたいのです。